今日は、人に変化してもらう時の問題意識の重要性について。
お前のここが問題なんだ!変わらないとだめだ!
と押しつけても絶対に変化しません。それは「他者の課題」だから。
本人にとっては課題じゃないんですよ。だから変化しない。
じゃあ何が重要かというと、
相手の問題意識に挙げること
が重要です。
今日の話は部下、子供、家族、友人、上司、同僚。どんな相手にも使えると僕は考えています。
そして、アドラー心理学の課題分離。
最後は「他人の課題」であり、お節介でしかないんだ、
ということを受け止めておくことを忘れないように。
コーチングとかは成長効率をx1.5とかにする物なので、成長って方向に動きたくなるためにはある種のカリスマ性やリーダー性を持った人が必要。それがない人が手段だけ使ってコーチングしようとしても、ヒーラーキャラに延々攻撃強化バフをかけるようなもんで徒労に終わる気がする
チャリ漕ぐ気がない人に高級なままチャリ与えても何も生まれない。その人は車とか原付とかに乗りたいかもしれないし、むしろ歩きが好きなのかもしれない。普通の人に一輪車を与えてもすぐ乗りこなせない。歩きだったら遅いスピードで歩いてくかもしれないのに。
学びって教えてる人が学ばせるんじゃなくて学んでる本人が学ぶ。いくら数学を教えようとしても「この授業なら寝れる」「早弁の時間にするか」ってことを生徒は学んでしまう場合もある。前提としてその人から学びたくなるような何かが必要なんだと思う
やってみせ、言って聞かせて……って言葉があるように、話を聞いてもらえない最大の原因は自分がやってないから。例えば10万のなんかを買おうかなって考えたときに500円のなんかを使ってる人には相談しないし、スポーツとか語学とか営業とか制作とか全部そう。話をまともに聞いてもらえない時って「自分はやってんのか?」って振り返ると大抵「やってないこと」な気がする。むしろやってたら勝手に聞きに来る。「やって見せ」るのは言って聞かせるのより先なのよ。
「こいつが話を聞かないのは素直さが足りないからや」「努力してないからや」って結論づけると全てが終わる。話を聞いてもらうために「自分のプロフィールを更新させる自分の努力」が必要になってくる。体重を増やしたい人の会に200kgの人が行けば誰もがその人の話を真剣に聞くけれど、50kgにダイエットする会に同じ人がいったら多分煽られる。文脈を無視して他人の努力のせいにするなってこと。
問題意識がないと人は変化しない
周りから見てどれだけ太っていようが、
周りから見てどれだけ痩せていようが、
「問題意識」がなければ人は変わろうとしません。
逆に、いかに普通体型に周りからは見えようが、
本人に超太っているという問題意識があれば、
ガンガン食事を抜いてどんどんガリガリに痩せていく。
この違いは本人の問題意識なんですね。
ただし、問題意識の強制はパワハラやモラハラとして報告される可能性がありますので辞めましょう笑
じゃあ人に変化して欲しいとき、どうするかというと、
自分の変化を伝える
こと。
結局の所これしかないなと僕は思っています。
自分事として自分が変化をしていれば相手は興味を持つんです。
押しつけられたものに自発的に興味を持つのは難しいでしょう。
そもそも、「押しつけられたOO」は自発性が無い。
だから、相手の視点を「自発」に切り替えないといけない。
変わって欲しいことを伝えたい相手には、
自分がOOを実践してどう変わったのか
を話すと。
で、OOに対して自発的に興味を持って貰えれば、
相手の中でちゃんと自分事に落とし込めるんです。
結局「自分が」実践していないとダメ
重要なポイントは
「まず言ってる側のお前ははどうなんだ?」
ってことです。
上司→部下でもいいし、トレーナー→生徒でもいいし、親→子供でもいいし、同僚→同僚、友達→友達でもいいんですが。
何かを誰かにやって欲しいと伝えたいとき、
変わって欲しいと伝えたいとき、どういう方策をとるかって凄くシンプルなんですよ。
僕は人を育てることの本質はここにあると思っていて。
「OOしろ」「OOした方がいい」とあなたが行った時に、
必ず相手は(ちょっと)こう思うはずです。
筋トレしろって言ってくるけど、(あんたは)筋トレしてるの?
読書しろって言ってくるけど、(あんたは)読書してるの?
勉強しろって言ってくるけど、(あんたは)勉強してるの?
これにすぐに「はい!」と答えられないようであれば、
言葉の正当性についても一度考えてみる必要があるでしょう。
だって、その言葉によりどころがないから。
より所がない言葉だから、他人は動かないのかもしれない。
大上段から
「こう生きるべきですよ」(だけど私はそう生きてませんよ)
と言っても響かないんですよ。
「こう生きてますよ」と同じ視点から言えば響く。間近で相手を見てるから。
人を育てることってシンプルですよ。まずは自分を育てれば良い。それだけ。
コミュニケーションは相互に起こります。自分の変化は他者の変化を誘発するんです。
ちょっと本を読んだくらいで、人を育てられるなんて勘違いしちゃダメですよ。
まず、自分が成長することです。
部下を褒めるか叱るかって議論はちょっとずれてると思う
部下を褒めるか?叱る?って議論されてるけど、起業家やフリーランスにはこういう発想があまりない気がする。多分。
※これは僕だけかもしれないので、一つの個人的意見として読んで貰えたら。
起業家やフリーランスはクライアントに自発的に動いてもらえないと食べていけないから。相手を褒める、叱るではなく「価値の交換」って視点を持ってる人が多いはず。
人間はあくまで対等であり、一時的にはっつけられた役割だという事を理解している。
「褒めるか、叱るか」なんて、発想がちょっとずれているような気がする。
子供にもそうだと思う。結局本読めとか言ったって姿を見せてないと相手は動かない。親が楽しそうに勉強してたら子供もする。賢い子供ほど言ってるあなたはどうなんだって思うはず。
人間は常に何かを交換している。時間と時間、時間と価値、お金と物、お金と労働力などなど。だから価値の交換って視点が大事になってくる。
交換の繰り返しによって経済はデカくなる。
褒める・叱るって視点は一方的じゃないかなと
褒めるか叱るかってのが、まず乱暴な切り取り方だなと。
とんでもなく尊敬していない人に褒められても叱られても動かない。
世界一尊敬している人に褒められても叱られても多分動く。
まず、このように文脈によって置かれる多分に価値は変化する。
さっきも書いたように「お前はどうなんだよ」視点。に叶わないといけない。こういうちょっとしたお説教感の」在る言葉は、成したことの大きさによって効果が凄く変わってくるから。
松下幸之助のお説教はありがたくても、成績の悪い、人間的にも成熟していない上司からのお説教はむしろ腹が立つはず。
上司と部下の価値の交換とは
責任を取ることと実行すること
視座を上げて広く見渡すことと現場を緻密に見ること
これらを価値の交換として挙げられる。
経営者は現場に出続けること。現場の話を聞こう。現場は常に正しい。
前にこんな記事を書いた。緻密に見ることができるのは現場だから現場を尊重しようと。
褒める・叱るって尊重というより、「どうしたら上手く人を動かせるか」にフォーカスしてしまっている気がする。
目的は褒めることや叱ることじゃない。
相手を尊重しつつ、気持ちよく動いてもらうことだ。
手段と目的を間違えないようにしよう。
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ではでは、本日はこのあたりで。ありがとうございました。
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