「寄付って偽善だ!と騒いでいる人を見かけましたが、本当にそうなんでしょうか?」という質問を受けたので、今日はこれに回答していきたいなと思います。
心の内なんて分からないんだから他人が騒いでも仕方ない
心の内なんて見えないんですから、偽善でやっているのか本質的な良心からやっているのかなんてわからないですよね。
常に表面的な行動をみるしか無いわけです。
「気持ち」になんて価値はないですよ。
例えば、どれだけその会社に入りたいと思っていても何の行動も起こさなければ、何も変わらない。
副業で稼ぎたいと言っても、1日30分も作業していなければ、何も変わらない。
なので、僕は人を見るとき、常に行動だけで判断します。
やりたいことであれば必ず行動に表れてくるわけですから。
この世に完全な利他なんてありえない
あと、この世に「完全な利他だけの行動」なんてありません。
どんなに高尚な親切心から人のために何かやっても、自分が多少イメージ向上したりする訳で。
マザーテレサ。
結果的に
人に良いことをすれば多少は自分のイメージに返ってくる。どんなにそれを望んでいなくとも。
自分だけが100%得する、他人だけが100%得をするなんて思考実験場の正論で物事を検討してもしょうがない訳です。
寄付が偽善かどうか、って議論している間になんかをしたのかって話です。
寄付=偽善かも知れないけど、社会が良くなるなら利己的であり利他的であるってことで。
寄付が偽善って騒いでいる人に伝えたいのは「あなたのいってることは間違いではないけど、怒るようなことではないよね」ってのがスタンスです。
自己利益と場の利益を一致させていくことで、結果的に最大効率で周りも自分も良い方向に進んでいきます。
だって自分の機嫌も取れて、周りも幸せにするんですよ。その第三者以外、一体誰が文句を言うんでしょうか。
成功者は常に自他両方の利をを追求してる
僕の経験談ですが、「本当の成功者」ほど「自他の利」を追求してます。
自分の利益と他者の利益の共通項を探すのが凄く上手い。
だから成功するんでしょうね。
ビジネスって他人のためになることをして、自分はお金を受け取る活動な訳ですから、自他の利を追求できる人は成功できるんでしょう。
僕はこの結果には納得感があります。
反対に、「失敗してしまう人」は自分だけの利益や他人だけの利益を追いかけすぎる人。
他人だけの利益を追求しすぎて自己犠牲を払ったり、
自分だけの利益を追求しすぎて傲慢になったり。
、、となると、寄付は非常にバランスが良いんじゃないですか?どうでしょう。
より良い可能性の中でより良く生きていけるんです。
寄付は利己的な行動でもあるし、利他的な行動でもあるんですね。
自分も他人も幸せにできる=寄付
寄付された側も寄付した側も不幸にならない。
不幸になっているのは外野だけ(なんで?)
たぶん、嫉妬心なんですよ。
自分のイメージアップができないから、他人のイメージを相対的に下げようとしている。それが寄付を偽善だと騒ぐ人の本質だと僕は思います。
自分で自分の利益を追求できないから、自己も他者も満たすことができる成功者を引きずり下ろす。
良いことに対して、「偽善だ!」と騒いでいるのであれば、本当の善はどこにあるんだろう、、みたいな、哲学的な話になってきてしまうわけですね。
そういった人を見かけたら、その人なりの「偽じゃない本当の善」を聞いてみることを勧めてみます。たぶん、答えられないですから。
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