今日は、正論を押しつける人の心理とか特徴について考えてみます。
あと、どうして正論は響かないのか。
僕自身は「人を責める人」も「自分が責めること」も好きではないのですが、
人を責めまくる人、そういう人達と、僕の差はどこにあるのかなと。
多分、自責論が備わっているかどうかなんですよね。
正論を押しつけられると人が動きたくなくなるのって映画のネタバレにも似てる気がするんです。見所をあの手この手で工夫して伝えようとしてくれると見たくなってくるけど、一度ネタバレされるとどうでも良くなる感覚ですね。
で、なぜ正論が響かないのか。
一番大きな原因は「借り物の香り」がするからです。
自分の考えで物事を語っていない。言葉に工夫がない。だから説得力が出てこない。
正論で人を攻撃するのはつまり「正論ならそいつも仕方なく動くだろう」という正論を言う側の態度がにじみ出るから、説得力を失うんだと思うんです。
その結果として、聞き手には何も響かない。
正論が響かないのは「誰もが当たり前に知ってること」しか言ってないからです。「もっと頑張れ」「こうすべきなんじゃ無いのか」とかって、頑張る必要があることは承知してるので、実質何も言ってないんですよね。
そして、必ず価値には文脈に依存する性質があるんですが、「正論」は文脈を理解していない言葉とも定義することができると思います。つまり「あなた」と「環境への理解」がなくて、ぽつんと「論」だけがある。
だからフィットしていないんですよ。
例えばスーツはビジネスの現場ではめちゃくちゃカッコいいかもしれませんが、それを登山に着ていったらお笑いか間違いになりますよね。
スーツもポルシェも単体では間違いでは無いけれど、文脈によっては間違いになるんです。
多分それが正論なんだと思います。論は間違っていないのに、どこかフィットしていない。
正論って、要は使い古されているんですよね。言葉に個性がなくて手垢がついている。正論で人を責めるのは、聞き手と握手をすることではなく、手垢だけ削り取って投げつけているようなものですから。
100%正しいアドバイス=正論は何も言ってないのと同じ
だからもやもやするんです。
コーチが選手にレシーブを返せ
と言ってるのと同じ。
ある中の人に酒を辞めましょう、とか
ニートの人に働きましょう
って言ってるのと同じですから。
カーブを投げてくる、といえば100%正しくはないので責任と感謝をセットで背負うことになる=アドバイスしながら教える側が無茶を言うことがなくなります。
正論は誰でも言える。だから響かない。
正論で人を責める人の心理とか特徴
誰かを責めるということは、言い換えれば、相手にものごとの責任やボールがあって、つまり、その「ものごと」の主導権が自分にはなく、相手のやり方次第で自分の揺らぐ&揺らいだから、相手に責任を求めること。
これを責めたことによって、「主導権はあなたです」と責めた側が認めることになりますね。
それをひたすら重ね続けると、自分の裸の実力をどんどん捨てていくことになります。
責めることで何かを変え、何かを成し遂げた気になり、最後には「責めることしか価値をつくれない人間」になってしまうのかもしれません。
あなたの周りにもいませんか?他人を責めることでしか価値を生まなくなった人が。
それが怖いので、僕は人を責めることがあまり好きではないんです。
正論を「どう分解し、パーソナライズし、相手にあった形で提示できるか」がその人の価値になります。
ただ正論を暴力的にぶつけるだけなら、本で良いんです。
責めること=全て悪なのか?
もちろん、責めること=100%の悪ではないし、そうではない場合もあるはずだけど、そもそも、
責める、責められることが必要な環境からは距離を置くべきだし、他人の「責任の追及」なんてものばっかりに時間を使えるほど、人生は長くない。
正論で攻撃して、誰かのマイナスについて指摘したところで-1が0になるくらいで、+と+を掛け合わせて何かを生み出していこうって発想が無いのです。
論破とかが嫌いなのって新しい何かが決して生まれないからですよ。
論破で勝った人だけの「論」があればいいのなら、最初からその人一人でいいじゃないですか。マイナスをを指摘する人だけいればよかったってことになりますからね。
それはあまりにも時間がもったいない。
絶対に自分のやっている詰める活動はプラスだ、とそういう人ほど言うんですけど、+に+を足そうとしてるんじゃなくて、「他人の悪いところ」というマイナスに「批判」のマイナスを掛けてプラスにしようとしているわけで、効率が悪そうだし、そもそも発想がネガティブから出発してるんですよね。
だから、「相手を責めない」ことを徹底すれば、本当の自分のプラスの実力が分かって客観的かつ謙虚になれる。
どうしてもどうしても、常に責めないといけないくらい相手が悪いのなら、その時はマネジメント力とか、人を見抜く眼力、相手との間の偏りすぎたパワーバランスの問題もあると思います。
つまり、
どうして雇用したんだろう?
どうして付き合っているんだろう?
どうしてこの人の下で働いているんだろう?
どうして友人を続けているんだろう?
その辺りの付き合いを根本的に見直さないといけないタイミングが来ているのかもしれません。
正論で責めることで物事が解決するなら、人間は、人間関係で悩まないですしね。
それは結局のところ、自責で考えることとイコールと言えますが。
夫は細かいことにうるさくて私は超おおざっぱなタイプなのですが、分かり合えないときは時はお互いを「おおざっぱ王国の民よ」「神経質な国の住人よ」と呼び合うことで平和に暮らせるようになりました
違う国から来た人だと思えば、相手を変えようなんてこれっぽっちも思わなくなる不思議
— あつたゆか | ふたり会議 (@yuka_atsuta) August 8, 2018
他人は変えられない。
そして、
僕がなぜ自責を重要視しているのかというと、
自責で考えることの重要性は、物事を変えるためにある
自責で考えることの重要性は、
本当の原因のありかなんてものを見つけて、
原因追及や責任を取らせるためにあるんではなく、
「自分で影響を及ぼせる場所」
をほんの1%でも見つけられることにこそ、価値があります。
だから、他人に自責論を投げまくっている人は、自分が責任を被りたくなかったり、
失敗のフォローを手伝いたくないから言っていることが多いし、あまり信用しなくても大丈夫です。
僕は自分が「なるべく自責を取り入れていますよ」と話すことはあっても、お前は自責で考えろよということは(ほぼ)ありません。(クライアントにはたまに言います)
人に自責を投げつけるのって隠喩的な他責だと思っていますから笑
最後に、正論を投げつけられてもやもやしている人のために、僕の考えを「正論をぶつけてくる上司に向けて」書いておきます。
批評が大事なのは認めるけど、それ、自分自身で言ったらおしまいですよ。正しいか正しくないかは周囲が判定するんであって、自分で正しいと言ってしまったら「正しい、なぜなら正しいからです」にたどり着くんです。
こんなことも分からんから間違い探しが仕事になって、間違い探しをペンで描いて生み出す仕事ができないんじゃないのかなあ。
以上。
で、もうちょっと最後に専門的に話していきます。
これって、合成の誤謬の典型。部分は正しくても全体として誤ってるって事例が「正論をぶつけること」です。
この場合本人が正しいと思って正論を振るってるけど、結果的に感謝もされず転職や休職やモチベーションダウンに追い込むかもしれない。結果的に多少技術や能力が上がっても決して感謝はされません。
心理学の分野では口出しは「自己実現を他人に委ねてる」って働きもあるんです。「俺はこう思う」は意見で「どうしてそうしないの」「あなたはこうすべきだよ」は口出しに分類されます。
自己実現していない人ほど口出しが増える。他人のリソースで自分のやりたかったことのシュミレーションをしたいからです。
正論は完全に不要な物とまではここではいいません。問題は正論で殴ること。この人みたいにね。殴るから殴ったことが問題視されたり、話をすり替えられたりして話が届かないんです。
で、殴ってる人は、実は本当に伝えたいとは思ってない。本当に論を届けたいなら、一番受け取りやすい形に改良してから伝えるはずだからです。
別にその時の発言が正しくても間違ってても関係ない。最後に自分が思っていた方向にことが運んでいるかどうかが全てですよね。
「あいつに真面目になってもらおう」として正論の暴言を吐いて、正論を吐かれた側に仕事をバックれられたら、まるで意味ないですよね?笑
いいですか。
正論をぶつけて求める行為を無理矢理してもらっても、当事者意識は決して持てないんです。それは、そもそも同意していないからです。ただやり込められているからです。
そんな粗雑な人のために責任感を持てますか?
ただし、自分で何かをするなら自責で
このブログを読んでくれているあなたは、個人事業をはじめたい、起業をやっている、もう既に考えている方、あとは僕のクライアントが多いはずないので、その方に向けてのメッセージ。
起業とかって難しい仕事ですよね。3年でほとんどの会社が消えるってのが定説ですけど、3年でほぼクビになる仕事、ほぼ全員が消えていく仕事なんて他にありますか?
入社して3年でほぼ全員がクビになっているとか。笑
そう考えると、ある程度自分に高い責任を負わないといけないかことが、実感として見えてくるはずです。まあ、僕が強要しないのは、自分で気が付くことと人から言われたことでは説得力が段違いだからです。
今日は以上。
※価値と文脈の関係性についてはこの辺をどうぞ
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