まず、本当に尊敬している人にはそんなことできないんです。大好きな異性とか、尊敬している起業家とかね。多分肯定から入る。まあ、からかう程度ならあるかもしれませんが。
でも、本当に言う価値が無い相手にはわざわざ批判もクソリプも言いません。
道ばたの虫に本気で説教する人はいないですよね。蚊に刺されて蚊に本気で説教しますか?
「病気をうつす可能性があるから辞めなさい!」
「そんなところにいると轢かれるからそこに巣を作るんじゃない!」
などとは説教しないはず。小学生に対して本気で説教する人はいるかもしれませんが、それは多分教育の範疇のはずです。喧嘩やクソリプのようなレベルの低い指摘にはならないはずです。
で、ここから考えるに、
相手の方が本当は上だと思っているけど、そうは認めたくない相手
に対して人はクソリプをするんだと。
「現実的に上なのかどうか」は関係ありません。テレビに出ている無職の人に対してクソリプをするのなら、多分その人の方がテレビに出ているという意味で「クソリプをしてしまう側」が「テレビに出ている無職」を上に見ている。自分がいくら稼いでいようが関係ないのです。
自分が内面でどう思っているかが重要です。そしてそれが悔しいと感じていると。
そして、クソリプをする相手からは、離れられない。なぜかというと、相手に存在を認めて欲しいと思っているからです。本当は承認して欲しい。でも正攻法ではだめな場合、人はクソリプをしてしまいます。
で、クソリプの度合についてですが、それが明らかな悪意の場合。
他人に悪意をぶつけるためには大義名分が必要
なんですね。大義名分とは何か。
1.自分だけが苦しんでいる
2.こいつのために言っている
3.周囲のためにはこいつに言わなくてはいけない
とか。必ず1の要素があるのに、2とか3にずらそうとするんです。周りが迷惑するから、と言っている人は必ず本人が迷惑しています。それを周りの目に対してずらすことで、自分が責任を負わなくていいようにしているのだと。
「周りがイラついてるよ!」「周りに迷惑だよ!」って言って自分のイライラを周りにすり替える人ならよく見ます。
いらつきやすい人は自分で問題解決できると思ってないんだろうなあ、と感じます。だから他人に解決を期待して、解決してもらえないとそのギャップにイラついてしまうと。
別に自分をすごいともダメだと思わないこと。特別視しないことが重要です。
クソリプをしている人へ
何のために批判をしていたんだろうと振り返ると自分が馬鹿みたいな気持ちになってきて止まります。人によっては批判することに対して批判的になる場合もあるんですね。
ミイラ取りがミイラにならないようにしましょう。
リプって積極的に関わりに行ってる訳で、本当に嫌なら見ないって選択肢も取れる訳です。朝マック食っててもいい訳です。でも、あえてそれを叩きにいくのはなぜかというと、多分「そのなにかと自分は関係がないものなんだ」というある意味アクティブである意味ネガティブな行動なんだと思います。
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