この記事はキツいことを言われている人、言っている人に向けて書いてみた記事です。
起業して結構な期間たちましたが、周囲の人を見てきた僕の経験則でしかないのですが、キツいことを言ってしまう人って、
単純に自分に余裕がない
ことが多い。お前のことを考えているから強く言っているんだ!と主張する人もいますが、僕が見てきた中で本当にそうだった例はありません。(飛び出しそうになった子供に親がビンタをかまして怒鳴りつけるなら分かる)
キツいことを言うのは、単純に「内容は置いておいて、とりあえずもっと僕の言葉を受け取ってくださいよ」と言っているに過ぎないんですね。
その価値や是非は関係なく。だから、あまりキツいことばっかり言ってると言葉の価値を磨くことを忘れ、中身や言葉がしょうも無くなっていくんですよ。
怒る(泣く)のってすごく原始的な感情です。受け取ってもらいやすいんです。
あなたがキツいことを言われているときの対処法
よーく考えてください。「相手を考えている度合」と「言葉がキツいか」どうかって全くの別軸です。
分解して考えてみて欲しいんですが、優しく諭しながら、相手を考えることもできるし、きつく言いながら、相手を考えることもできる。
つまり、「考えているから」この別軸をくっつけて、言葉のきつさを正当化しているわけですね。僕が伝えたいのは、それってどうなのよ?本当なの?ってことですよ。
本当に「言っている側が相手を考えているか」どうかは、キツく言われている側は正直分からない。まあ、ニュアンスから読み取れる場合もあるでしょうが、むしろ、本当に考えてくれているんだとしたら、きつさの度合も相手の受け取りやすさ合わせるはずなんですよ。(ですよね?)
嫌がっている=拒まれる可能性が上がりますから。
でも、相手に合わせるプロセスが起きない→自己正当化が起きている→どういうことなのか?を、一度冷静に考えてみると良いと思います。
もし今キツいことを言われている状態の人がこの記事を読んでいるんだとしたら、気にしなくて良いと思います。これにつきます。
それができるなら苦労しないんだ、って言葉も聞こえてきますが、こちらから他人を変えられることなんてほぼ無いんですから、環境を変えるか、その環境の依存度を下げるしかのようなアプローチにどうしてもなります。
極論・極端・白黒はっきりが好きな人はなぜそうなるのか
複数の軸で考えると物事は中央に近づく。一つの軸で考えると物事は端に近づく。
釣りが好きか?ってアンケートがあったとしたら、嫌いor好きと偏りますよね。でもそこに別の軸を足していくことで、どんどん中央に点が近づいていく。つまり、極端なことを言っている人って一つの軸からしか考えていないことが多いんです。
釣りが嫌いな奴は生きる価値がない!なんて普通は言いませんが、一つの軸からしか考えられない人に何が起こるかというと、「努力していない奴はだめ」みたいな単眼的な思考。
努力していないけれど家族に優しい。努力していないけれどそのおかげで合理的、などなど。軸を増やせば極論思考は回避できますよ。
人間関係は鏡
僕は誰かに厳しいことを言われると、必ず似たような言葉を返す。これは別に論点をずらしているわけじゃ無くて、相手の真意を確かめたいから。
まず言われることはないでしょうが、「お前は馬鹿だな」と言われたとする、そしたら似たような言葉を返す。「お前は仕事ができない」と言われたとしてお似たような言葉を返す。「君はこれができないよね」って。
馬鹿だなあに対して、相手がキレるのか、笑うのか、真剣に改善しようとするのか。反応を見れば相手がどういう感情にさせたくてこちらに言葉を投げかけてきたかが分かる試験紙みたいなものになりますから。
営業がエンジニアから「お前はコードが書けない」と言われたら「お前は仕事取れないじゃん」と。
嫌な思いにさせたくて言葉を投げかけてきていたなら逆ギレするし、冗談なら笑うし、改善しようとして言ってくれていたなら話を真剣に聞いて改善しようとするはずなので、似たような言葉を返して相手が怒り出したら、そもそも聞く必要が無い言葉だったってこと。単に「怒らせたい」から、そういう言葉を投げたんだな。
「本当に相手に良くなって欲しい」と望んでいる人、何としてでも伝えたいと思っている人なら、それだけ本気でこちらの話も聞くはずだし、相手に本当に取って欲しい行動を取る。相手の反応を見て、ようやくその人の言葉を受け取るかどうするかが決まる。
「意見を言うことが大事だ」と主張している人、本当の目的は意見を言うことじゃなく、相手の変化にあるのにね。それを無視して意見だけに着目しているのは、いつも嘘を吐いているのとたいして変わりがない。
他人にキツい人の原因
他人にキツくなる人の一番の問題は自分が許せないこと。
誰かが怒っているとき、問題は他人にはないんです。常に怒っている人本人にあります。だって怒らずに平和的な解決もできるはずですから。怒ることを選択しているんです。
まあ、自分の成果が許せないのかもしれないし、自分のダメな部分が肯定できていないのかもしれない。だから他人のダメさが肯定できない。
人間関係は鏡ですから、どんなに悪そうな人でもめちゃくちゃ優しく温かく接すれば優しい結果が帰ってくるかもしれないし、どんなに普段温和な人に対しても、あまりにずさんな対応をすればずさんな結果が帰ってくる。
でも自分は本当は許したいし、ダメな部分を許してもらいたい。でも自分も他人も許せない。だから苦しいんです。もしあなたがキツいことを言われている場合は、言葉がキツいのは相手の問題であり、人間関係を進んで破壊し、ダメな自分は「やっぱりダメだったんだ」と安心したいのかもしれません。
本人が自分を何とか変えようとするまで、ほおっておくしかありません。
怒ると怖い人は普段優しいってどういうことか
普段怒らない人ほど芯が太い
普段怒る人は芯が細い、すぐポキポキ折れる
でもすぐ修復する
だから折れるまでに時間がかかるし芯が太い分、折れるほどのことをしてしまえば修復が難しいし、いざという時の攻撃力が上がる
本性を隠してるんじゃなくて、「その芯を折るほどひどいことをした」って部分に着目するべきなんだと、、と思う
人は差でいろいろなことを認識するんだと思う
本人の中では必死でも「あーまたやってるよ」くらいにしか周りからは捉えられなくなってしまう
いっつも閉店セールしてるのか、本当の閉店セールかの差なんだと思う
で、自分が良ければそれでいいのだ的なこと言う人いるけど、それこそ他人に言う意味ないよねって
自分が正しいは正しい根拠にはならないと思う
優しい人はなぜ優しいのか
歳を取ると頑固になる、歳を取ると丸くなる
優しさとは心がけなんだろうな。裏が怖いんじゃなくて誰しも元々怖くて心がけがないおっさんはただのおっさんになり、心がけがあるおっさんは優しいおっさんになるんです。
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