法律とかは除いて考えてください。ここでは、個人の規範とかルールの話。使い方によるので禁止は難しいんですね。
ゲーム禁止条例とかでじゃあ他の県に引っ越そうとか地下でやろう、みたいな意見が冗談で多数出てきましたが、あれと同じです。
表面的に何かを禁止したりコントロールして辻褄合わせをしたところで、禁酒法時代のアメリカと同じで「他の国で飲みまくる」みたいな状態が起きます。
つまり、何かを隠れてやるor隠すのが合理化されてきてしまうんです。
隠れてやられるのはセーフにしている時よりもリスクが大きいんですよ。なぜならコントロールができないから。
子供にゲームを1日1時間まで、と伝えて買い与えるのと、完全に禁止して子供が外で隠れてやっているのでは、どちらがリスクが大きいかという話です。
もちろん見方にもよるので安易に結論の押しつけはしませんが、
禁止って一番安易なんですよ。人を育てるときもそうですが。
禁止する場面で他人に正論を使う人は「前提条件で特定の行動が悪にも善にもなり、成功することも失敗することもあることを理解していない机上の空論マン」なんです。
オフロードにポルシェ911で走って行っちゃうとか、天皇の料理人になったのにタバスコをドッキリで飲み物に入れまくっちゃう。相手がオフロードにいることが想像できずにポルシェだけが正義だ!と叫び続けたり、相手が料理しているのにタバスコドッキリしろ!と騒ぎ続ける人のことです。
相手に響く表現を使えない、という意味で、人に対しての深い造詣がないんだと僕は思ってしまいますね。
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