人生は数字や効率だけでは語れんのですよ、って話を今日はしていこうかと。
本当に効率だけでどうにかなるのなら、人間に音楽なんていらなくなるし服は高機能ビニールを大量生産した方が安くなるし、車はアルトとプリウスとハイエースと軽トラとトラックだけで良くなってしまいます。
そんな世界は嫌ですよね?
で、とあるスマホのアプリのおすすめ記事で
「ドライブが趣味というための走行距離は?」
とか書いてあって引いたことがあって、
仕事かな?と。趣味が他人に見せつけるためになったら終わりだと思うんです。
ストロークとチョーキング何回以上したらギターが趣味なのか、とか、スマッシュ何回以上したらテニスが趣味なのか、とか書いてあったらすごく嫌ですよね。
結果的に増えてくことはあるかもしれないけど、そこを達成しないと合格しない、みたいな数字が先行してる考え方って義務教育の弊害臭がぷんぷんします。
数字は一つの重要な基準であることは否定しません。ですが、それが全てになったらおしまいです。
企業理念が金稼ぐこと、って企業の商品を買いたいと思いますか?本当に商品が良ければ考えるかもしれないけれど、同じ質の商品が見つかったら多分共感できる理念の会社の商品を買うと思うんです。
それは生きることは呼吸することだ、と言ってしまっているのと変わらないからです。
人生の意味、というのは個別に存在します。だから楽しかったり楽しくなかったり、結果を出しているのに不満足そうだったり、色んな人がいるわけです。
共通の数字一つでは計れないし、効果の測定もできない。
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