自分に正直なことと、他人に嫌なことを言うことは全くの別問題だと僕は考えている。正直でいながらも、他人が嫌な気持ちにならないように配慮することはできる。
大抵「正直に言うことを自称する人」は方向性が「人を痛めつける内容」になっている気がするので今日はその指摘を。
それができないのは、正直とかもはや関係なく、ただの思慮不足。
そもそも、そういう場合の正直って、他人を傷つけることや、嫌なこともズケズケいうことを連想させますよね。「快活で楽しい正直」ではなく、攻撃的な部分への正直さだったりする。それはなぜか。
正直だからって自称する人は「正直に言うことは大事だから他人を傷つけてもいいよね」って免罪符を自分に張ってたりするんです。だってその方が慮る必要がなくて楽だから。
人格を伴わせてから正直にならないと、ただの嫌なやつになってしまうのです。
自分に正直にあること、その方がいいのは当然です。その点は僕も同意します。
だけど、ひどいことを言って許されるかは、また別問題。免罪符を張って調子に乗っていると、免罪符が剥がれた時、取り返しのつかない発言をする場合があります。
そして、本当に正直な人って正直の方がいいとか悪いとかすら考えてない。
正直キャラを宣伝しておいた方がいいよねって考えで宣伝してる。当然だけど、正直になるのは、人格を身につけてからの方がいいと思っています。
マツコ・デラックスは理解できない素人は叩くけど、コメントで本当に傷ついていそうな時はフォローに入ってる。もしこの他人の感情の察知・最終のフォローができずに自分の勝ち負けで最後まで突っ走るのであれば、正直キャラは絶対にやめておくべきです。
サバサバ系と同じようなものですね。目指したい自己イメージを自分に貼る行為。しかし、目指したい像があること重要ですが、それで無神経が許されるかとなると、まったく話が別です。
正直を自称する人がやりがちな正論を用いたコミュニケーション
「00できないな」
「言い訳じゃん」
こういう正論を用いたコミュニケーションって、意味をなさない。正論なら誰でも知ってるから、その人に話すのではなく、本を読めばいいだけになる。
正論を「どう分解し、パーソナライズし、相手にあった形で提示できるか」がその人の価値になります。
つまり、個別のパーソナライズがない正論は叩かれやすいし、その上で相手に響かず、どこにも残らない独りよがりなものになってしまうのです。
正論を押しつけてくる人の原因と対処法と、正論はなぜ響かないのか
お前のために言っているって言葉はあまり信用できない気がする
僕が信用しない言葉は「お前のために言っている」です。無理な要求を押し通そうとしているから、「お前のため」という安易な牽制で要求を突っ込んでくる。
本当に「お前のため」を考えている人は、最後は本人に判断を委ねますから。
だって他人の人生の責任は取れないし、こちらがアクションをかけて相手が責任を取るのは不公平ですよ。
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