大人の余裕を持つにはまずはお金を稼ぐこと
結局のところ、元も子もないけれど、まずはお金である程度までは余裕のバッファが決まる。お金の余裕はサスペンションみたいな物で、ダメージを吸収する役割を持ってる。
100億持っている人の100万円を落としたショックと、年収100万円の人が100万円を落としたショックでは当然ダメージが変わる。ダメージが変わるということは生活への変化率も異なる。
お金とは元をただせば人生。時間がお金に化けている。
つまり、時間の価値が高い人ほどお金をたくさん持っているはずだ、と人はまず錯覚する。これは当然そうとは限らないことはわかると思う。お金を持っていても、専門性や、何らかの知識や職能が備わっているとは限らない。
おっさんの紙切れを欲しがっているわけではなくて、人生の悪い部分を取り除いたり、いい部分を増やしたり、現実を変えられる力を持っていそうだからこそ、余裕を持つためにはお金は大事になってくる。
お金を持っている人が大人の余裕がありそうに見えるのは
- サスペンションの能力が高い 高そうだから
- 時間の使い方が上手そうで時間に価値がありそうに見えるから
- 人生の悪い部分を減らしたり、いい部分を増やす力を持っていそうだから
こんな感じで乱暴に分解することができる。
人間関係の余裕=優しさの余裕=大人の余裕
頭のいい人ってほんと怒らないよなあ、、と最近感じる機会があった。脳みそのメモリに余裕があってハングアップしないのかな。余裕なくなると怒る、運転とか、お金ない人とかもそう。
クレーマーとかも余裕がなくなってるから怒る。普通、こっちから適切に連絡すれば向こうはちゃんと事情を話して取り合ってくれる。
タチが悪いのは、余裕がない人は余裕がなくなっているから怒ることを認識できなくなるということで。
大人の余裕がある人は他人の変化を待つことができる
会社の新人研修とかもそうだけど、財務に余裕があれば新人の成長を待つことができる。雇われている側も、財布に余裕があれば給料日まで振り込みを待つことができる。
他人の変化を待つ、と書いたけど、変化に限らず他人を待てる人は重宝される。
なぜなら、待ってもらっていることそれ自体が待たれている側には価値になるから。
ニューシネマパラダイスで主人公がずっと待ってるシーンがあったけど、それと同じで、変わらないってことは一つの価値になる。何度か話しているので、意味は別記事から引用する。
揺らがないというのはアピールしないと言うことでもある
ここはセブンです!と店員さんに言われ続けたら疑わしくなってくると思うし、
ここはローソンです!って言われ続けたら怪訝な気持ちになるはず
自然とファミマに行きたくなってくると思うし、ニセモノか?って思うはず
ルイヴィトンの本店とかでここはルイ・ヴィトンです!って言い続けたらブランド力ががた落ちするし、秋葉原とか上野の閉店セールの店みたいな感じがしてくると思う
伝わるべきことは自然と伝わってるし、しつこく何かをアピールするってことはその部分への自信のなさかやましさの表れな気がする
自転車に乗れます!!って大人が言い続けてたら、最近乗れるようになったのかな?って思うはず
それは、その人にとって当然の領域にはない、つまり、ギリギリ出来るとか本当はできないからしつこくアピールする必要がある
大人の余裕には二種類ある
負けることのない余裕と戦わなくて済む余裕の二つに分解できると思う。
負けることのない余裕とは格闘技のチャンピオンとか。戦わなくて済む余裕とは山奥で小説を描いて暮らしている小説家とか。
負けることのない余裕だけを追い求めている人はパワーを評価されているだけに過ぎないので、そのパワーを失ったら評価が揺らぐ。戦わなくて済む余裕だけを極めすぎると、ただの理想主義に陥ってしまう。
実力と、他人への愛を備えて初めて本当の余裕になる。
大人の余裕とは結局何か
アピールし過ぎないことがまずあるんだ、と思う。余裕があるというのは自然な状態なので、暑苦しすぎないこと。
暑苦しいということはどこかに無理をしている部分があるはず。例えば、リフティング100回が当たり前になっている人は「100回できるようになった!」と暑苦しい感じでは言わないはずなのだ。
できなかった人がようやくできるようになったからこそ、
みんなにアピールをすることで自分の中の結果を共有しようとする。
筋肉アピールをするのか、さらっと何かのきっかけで見えるのか、にも近いんだと思う。
そして、結果的に威圧感を与えないこともなるんだと思う。
それはつまり、東京駅がそこにあります、というくらい自明なことで、わざわざアピールする必要性が消えてくるから。自信や余裕と傲慢さを勘違いしないようにしてほしいと、ゆめゆめ、僕はそう思っている。
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