今日は、言い訳するな、他人のせいにするな、という言葉について。
人のせいにするな、言い訳するなと言う言葉の深い意味を考える
僕は「他人のせいにするな」って言葉には「俺は責任を負わない」という意味も多少は含まれていると考えています。
要するに「困ってるあなたの問題解決ができません」と考えている人だけが、
他人のせいにするな、を使って相手の意見を封殺するんです。
僕自身「他人のせいにするな」と言っている人に、そのずれた自己責任論に反対すると「自分の課題を人のせいにしている」と怒り出してる人を見たことありますけど、
ほんとにその人が自己責任論を大事にしてるのなら多分「伝え方が悪かった、申し訳ない」と謝るはずなんですよね。
自己責任とか人のせいにするなって人に反対し、謝られるのでは無く怒られたら、その人は他人にだけ自己責任を追求する人なんだな、とちょっと偏見を持っちゃいますね。
それ言ってることって俺に苦労をかけるな、ってのと同じですからね。
その上でここからの話は読み進めてもらえたらいいかなと。
そういう心ない人達にはこの本のタイトルを100回ほど音読して頂きたい。
問題は人のせいで起きているけれど、解決策は多分自分で生み出すしかない
「完全に人のせいにすること」を擁護したいわけではないんです。でも、雑な理解をしている人たちにちょっと待て、とストップをかけたいと考えています。
例えば「前の車がスピード出したり緩めたりして走りにくい」という意見があったとします。
それは「人のせいだ」「スピード維持を君がすればいいじゃないの」という意見を言うこともできます。もちろん正解です。
ただし、前の車が原因を引き起こしていることは事実ですよね。
つまり、改善策はこちらで生み出すしかない。けれど、原因は前の車が生み出している。
つまり、人のせいにするなという人は「原因を耳に入れたくない」人たちだといってもいいでしょう。
原因を耳に入れたくないのはなぜでしょうか。
引き続き課題提起をするので、読み進める前に「原因を耳に入れたくない理由」を考えてみてください。
言い訳するな、人のせいにするなという人が原因を耳に入れたくないのはなぜか
リスク管理をしているフリをしたい、というのが本音でしょうね。
共感が大事というレベルですらなく、原因はどうでもいいし、解決したいとも思っていないけれど、なんとなく「できる自分」「自己解決できる自分」「課題解決できる俺」を演出したい。
例えば自分の子供がイジメにあっていたら、あらゆる行動をとって解決に当たろうとするはずなんです。
「お前がそんな服装をしているからいじめに遭うんだ、自己責任だ」
「足が遅いなら自分で努力すればいじめられない、人のせいにするな」
なんて言葉は投げかけないはずです。解決する気が本当にあるならね。
相手方の親に会いにいくとか、先生に相談するとか、一緒に走ってみるとか、色々な解決策が用意できる。
自己責任だ、なんて言葉は投げかけない。
つまり、「人のせいにするな」と発言する人は解決する気がさらさらないんです。
まあ、赤の他人だったらいいでしょう。
でも、何ができるかとか、情報提供、メンタルのサポート等々のアドバイスは知人以上の関係性なら最低限行うと思うんですよ。それがないならつまり、どういうことなんでしょうかね。
「甘えるな、人のせいにするな」ってお説教なの?
甘えるな、人のせいにするな。
それって、ただのその人の理念で、なんの問題解決にもなってないんですよね。
マイクロソフトの本に書いてあったんですが、「火を消し忘れてオフィスが燃えてます!」って時に「言い訳するな!」なんて説教する上司がいたら、シンプルに危ない人だということはわかるでしょう。
まずは消防署に連絡するとか、火が小さいなら消化器で消そうとしてみる、などなど、
色々取れる解決策があるわけです。
言い訳するな!人のせいにするな!というのは精神論であって、解決策ではないわけです。
精神論が不要だとは言いません。
赤の他人ならそもそも問題解決の必要がほとんどないから(わざわざその人の課題を知ろうとしなければ)いいんですけど、組織内とか身内でこの言葉使ってる人がいたら関係見直した方がいいと思うんです。協力しないし、解決策も提案しないってのと同義なんです。
理念は個人的に運用してる分には環境をよくする、けれど、人に押し付けると環境が悪くなるって性質があります。
そして、人のせいにするなという人は「環境を変えられる前提」を持たない人だと思っています。
どういうことかこのまま解説していきますと、
人のせいにするなと発言する人は何かを根本から疑ったことがあるのか
人のせいにすることを許さない人は
どこでもやっていけるバーサーカー
もしくは
環境は変えられないと信じ込んでいる
もしくは
自分は無意識に人のせいにしていることに気がついていない
の二つ以上を満たしている人限定な気がするんです。
「どこでもやっていけるバーサーカー」かつ「他人に優しい人」もいるでしょう。つまり、一つだけでは十分ではない。二つ以上を満たしているとひどいことになる。
冒頭に書きましたよね。
自己責任論に反対すると「人のせいにするな」とか怒り出す人いますけど、ほんとにその人が自己責任論を大事にしてるのなら多分「伝え方が悪かった、申し訳ない」ですよね。
これ。
つまり、なんだかんだ無意識に他人のせいにしている人な可能性が捨てられない、ということです。
あと、「自分は困った時全てなんとかできるぜ、という勘違い」を持ってしまっているんですね。
無意識的に環境が変えられないと思い込んでいるなら、環境を変えられることに気がつくこと。気が付くためにはきっかけの提供が必要なので、なかなか本人だけでは難しいでしょう。
できればこの記事を参考に、言い訳するなと言っている人へのきっかけ提供の機会にしてください。多分、すぐは変わらないと思いますが、あなたの言葉が相手に「いつか何かをもたらせばいいな」くらいの気持ちで。
当然ですが、自分で全て解決!も、環境が全て悪い!
も雑な理解なのです。正確な分析をしましょう。
例えば、
イラストやが出てきたことによって、既存のイラストレーターの収入が減っている
という意見がありました。それに対して「言い訳だ」と言っている人がいました。イラストやが出てきて既存のイラスト描いてる人達の一部が困っているのは「事実」です。
大事なのは、じゃあその上でどうしようか、と「考える」ってことですよ。
言い訳するな、ってのはただの正論で、それは何かをよくすることにはつながりません。自分が気持ちよくなりたいがための「お気持ち」しかない言葉なんです。
その人の状況を正確に考えることを忘れています。
他人のせいにするな、という人たちって言葉の呪いにかかりながら生きてきたのかもしれません。
僕は他人のせいにするな、というスローガンが現実的に何か役に立つの?という疑問があるんです。
ちょっと話は変わりますが、
心理学の世界で、とある問題について「アドラーは個人責任に押し込めようとしたけど、フロイトはリビドー(性的欲望)に押し込めようとした。その後、フランクルが人間の心はもっと彩り豊かなものだ」と否定したんです。
問題は全て自己責任だという考え方と性的欲求から来るという考え方が一度否定され、その後もっと柔軟に考えましょうよと変化してきたのです。
つまり、個人の責任だったり、性的欲求だったリのような一元的には何かを決められないんじゃないの、というある種のイノベーションのようなものが心理学の世界でも起きたんですね。
なぜ言い訳とか人のせいが生まれたり、人のせいにするなって言ったりする人が生まれるのか
もう一つ理由をお話ししておくと、「原因と結果は大抵ずれる」からなんです。
クライアントと話していると、
こんな課題があってこうしたいんですが
こういう目標があるからこうしないといけないんですが
などの質問があったとします。
原因と結果とか問題と解決策、人はセットで考えてるんですけど、ほぼそのルートはずれているんです。
例えば、売り上げが欲しいのはなぜかを突き詰めて考えていくと、本当は時間が欲しい、だったりするし、人から認められたい、だったりする。
時間が欲しいなら必ずしも売り上げが必要だとは限りませんし、人から認められたいなら売り上げをあげる以外のアプローチにも目を向けてみた方がいいのかもしれない。
だからこそ詳しく話を聞いていく必要があるわけで、人のせいにするなと言ってしまう人の本当の目的は「人のせいにするな」ではない気がするんですよね。
もちろん自己啓発書に書いている人やブログで思いの丈を発信しているなら別でしょう。読みたい人だけ読んでくれというスタンスですから。
問題は直接近しい関係の人に投げかける人です。なかなか逃避できませんからね。
人のせいにしている人に本当の意味で気がついてもらうには、目を覚まさせるような言葉が必要
無意識的に人のせいにしている人には、本当に大事なことに気が付かせることが重要です。
傷を作っている原因は何かを考えてもらうということ。
本当はあるんだけどまだ気が付いていない領域に気が付いてもらうということ。
安易で、全く意味不明なことを提案されても納得しませんから。
※この辺り、もう少し詳しく勉強したい方は僕のメルマガに登録してみて下さい。
自己責任論の注意点についてもう一度まとめます
自己責任を投げつける人、要するに「俺は知らない」ってことが言いたいだけじゃないかなと。
- 努力で変えられる範囲は人によって違う
- そして、土俵が全く違う可能性
Twitterで流行ってる自己責任論。
人に言わない分には美徳だと思うけど、他人に向かって「自己責任だろ」って言っているのは、「だから自分は助けなくていい」「自分は一切責任を背負いたくない」って損得勘定が見え隠れしているような気がするんです。
何も言わなかったり、話だけ聞いたり、有益かつ押しつけないようなアドバイスをするのが誠実な態度であって、人が辛い時に「自己責任」って言う人間より、「特に何もできない、けど話くらいなら聞く」っていう人間の方が圧倒的に人間ができていると僕は思います。
自己責任論を実践している人
「自責」を他人に主張するとき、それは同時に他人に責任を押しつけていることを忘れないようにしましょう。「俺は責任を引き受けたくないから、君は自責で考えよう」と他人に言っているのとほぼイコールだからです。
本当に自責を実践している人ほど、(文章で書き起こすことはあるでしょうが)困っている他人に簡単に自責を語りません。だって、他人の行為すら自分の責任として考えるからです。
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