自分の弱さを認めることを通じて他人の弱さを理解することができます。
理解することで自分は平均にいることを知り、結果的に弱さへの恐れも弱まるのです。
弱さを叩いている人は弱さから目を背けたい人です。
他人の弱さに共感するから苦しくなるんです。
本当に強い人は何にも考えずにアイスを食べているような人なんです。
弱さを認めることで、弱さについて叩く必要性がなくなります。
何かの小説に「人の心は人から人に無限回コピーされ続けてるんだ」って書いてる作家の人がいて、すげー発想だなって思ったんですけど、これを起点に考えると、言葉が強い人って、他人に激しく影響されまくってる人かもしれませんね。
「ちょっとしたことで怒る人」って他人の行動について怒るわけですから。他人の行動にすぐ揺らいでしまうということ。
他人の弱さや繊細さについて怒る人
なんでもできるんだ!という傲慢さも、自分は何もできないんだという卑屈さも、遠回しに自分が特別な存在である、という前提を置いています。
繊細な人は物事をよく見るようになり、結果的に一つのものからたくさんの情報を得ることができる。自信家の人は行動がストップしない。一喜一憂もしない。
つまり、傲慢な人が許せなかったり、卑屈な人が許せなかったりする人は特別ってものを受け入れられないのかもしれないですね。
人は強さとか弱さとかを差で認識しているから、遠いと受け入れがたくなってくる
普通のレンジにいると特別なレンジにいる人が受け入れがたくなってくる。人は物事を差で認識しているからです。
同僚が月100万円稼いでいたら嫉妬するけれど、多分三木谷さんが月1億稼いでいてもそんなに嫉妬しないんじゃないかと思うんですよ。例えば、冬の22度は暖かく感じるはずです。でも夏に22度の部屋に入ったらすごく涼しい。
事例は自分で他にも考えてみてほしいんですが、人間は差分によっていろいろな物事を認識しています。だからこそ、差を参照する点によって自分の成長が決まったりもする。
周りの五人の平均が自分と言われたりもしますよね。要は、自分の中で心地の良い相手を比較対象に置いていくことによって、だいたい自分と似たような人が自分の周りに集まってくるからです。
例えば友人の一人がすごくお金持ちだったとして、その人の周りにはお金持ちが集まっている可能性が比較的高い。
そうすると、いろいろなノウハウをもらったり、行動習慣を参考にしたりすることの繰り返しによって、行動の元になる考え方がお金持ちに似てくるってことが考えられるんです。
リスクを恐れない姿勢であったり、お金をちゃんと使う姿勢であったり、勉強を欠かさない姿勢であったり、そういった細かい姿勢とか基準の積み重ねによって、自分の表面的行動が変化し、内面も変化し、人生が変わってくると。
もう一度話を繊細な人を怒る人、ってテーマに戻していきましょう。
繊細な人を怒る人はなぜか
痴漢された女の子をそんな服着るからだ!と怒る男の人いるけど、実は女の子を守れなかった自分がしんどいから相手に投影してるんです。共感すると被害者の側に回ることになりますよね。
パワハラを受けた人に共感するとその一部を自分がおんぶすることになります。
要するに被害者側を責める人ってのは共感のスペースがない人たちなんです。
だから、繊細さに悩まないでください。繊細すぎる人だけが共感ができないんです。その人は自分自身より悩んでいる人なんだ、という前提をわすれないでください。
有名なのはまっくろくろすけをめいちゃんが脅かすシーンですね。恐怖を投影することによって、自分は怖くないんだぞ、というアピールをしている。
もし、繊細さについて叩かれたらこれを思い出してみてください。ちょっとは気持ちが楽になるんじゃないのか、と思います。
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