成功している人としていない人の差はどこにあるんでしょうか。
当然定義は一つではないので、2つの定義をお話ししていきたいと思います。
好きなことをすると成功する
好きなことをひたすらにやっていってる人、こういう人たちってかなりの確率で成功しているように僕は思います。必ずしもお金という側面で考えないでください。
音楽をやっていることが楽しいとか、音楽を通して異性にモテているとか、音楽を通して人に認められているとか、どこかしらの側面で、成功しているように思うんです。
で、全く成功していない人もいるんじゃないの?評価もされてないし、お金も稼いでいないし、モテてもいない、、そういった人は評価されるために得意の方に移動していく必要があります。
評価されたいのか、自己表現がしたいのか、どちらを選ぶべきなのかはいつでも自分で決定する必要があるわけです。
自己表現していても幸せじゃないとか、評価されているんだけど幸せじゃないって場合も当然あり得ます。芸能人が絵を描き始めるとか、アーティストが社会起業家的な奉仕活動を始めるのも、そういった側面があるのかもしれませんね。
得意なことをすると成功する
好きか嫌いかは差し置いてなぜか人より上手くいくことをやる人も同じように成功しているように思う。
ただ、問題は「強いて言えばどちら」を選んだ方がいいか、ということでしょう。
サッカーが大好きだけど野球が得意だ、とかそういった場合ですね。先ほどもお話ししましたが、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
好きなことをやっている人
下手の横好きでも良いと僕は思っています。それは、お金の面だけではないからです。
お金がなくても、誰よりも楽しそうに生きていたりします。ふらふらとしながら、ものすごく幸せそうに生きている。それを成功と言わなければ何を成功というんでしょうか。
「人生が楽しくなること」が究極の成功の尺度だと、僕は思っています。
多少のお金があるかどうかは、成功の基準とは関係ありません。もちろん、一つの尺度として選択することはできるでしょう。
ですが、僕自身達成した今の時点で、そこまでお金というものに重きを置くことがなくなりました。
なぜなら、お金を追ってしまうと段々と嫌になってくるからです。自分自身の選択の基準がお金に差し代わることで、選択それ自体に自主性が薄れ、楽しく無くなってくるからです。
何度も言っているようですが、どういった尺度を選択するかはあなたの自由です。
ですが、ちょっと思い出してみて欲しいのですが、そもそも好きじゃないと継続ができない。
つまり「楽しく生きている人」は好きなことをやっている人か、得意なことをやっている人に限られてくるんではないでしょうか。
継続すると多少なりとも、技術とかコンテンツとかが溜まってくるわけですね。
溜まった技術やコンテンツはマネタイズする技術を身につけることで換金ができます。ですが、お金のために何かをイヤイヤやっていると、そもそも継続が困難になってくるので、後からの換金がすごく難しい。
何を言っているかというと、ガレージでデバイスの原型を作っていた青年二人の行動が、遊びなのか仕事なのかはその時点ではわからない。他人がそのデバイスを求めてくることによって、それは価値になり、仕事になり、沢山のお金へと転換していく。
そうじゃない人は、疲弊した人生を送ってる気がしてくるんです。僕が思うに、せっかく生きてるなら楽しい方がいいんじゃないかって一つのお節介です。
人間、やりたいって思っていたことにはそのうち手が伸びます。僕の友人ですが、ずっとアコースティックギターを始めたいと言っていた友人が数年越しに購入していたんですね。
つまり、やりたいことはそのうちに我慢ができなくなってしまう時がきます。だからこそ、早いうちから挑戦していくことが大事なんです。
好きなことやれって言ったって、、、って言ってると人生終わっちゃいますよ。
人間は、やりたいことをやる気力やモチベーションがある時期と、それができるお金や時間という資源がある時期は往々にして被らない。
だからこそ、全てを捨てろとは言わないので、毎日ほんの少しずつでもいいので、
好きなことをやる方に踏み出した方が良いのです。
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