ボクサーのメイウェザーみたいに本気で強い人は試合の前日に東京観光で天ぷら食べてますし、普通の人は煽り倒すんです。本当にすごい人は自分のやばさについて言及をしないんです。
威力高めな批判をするためには、その人よりレベルを高めるか・何もせずに外側のフレームからぶったたくかしかないんですよ。
で、本当にレベルが高い人は批判に割いてる時間が(お金払って頼まれない限りは)ほぼないので、攻撃する人って大抵その分野で何もやってない人が多い。
例えば他人のせいにしないとか自己責任とかって自然と滲み出てくるもので、そういう人って君の責任まで背負ったる、ってような覇気があると思うんです。
批判が自分に害を生む理由
まず自分が一番聞いてるし考えてるんです。戦意が無い相手に対して、プロの格闘家が一般人に攻撃して喜んでる状態なんです。
「ボクシングの楽しさ」で物事を語って欲しいと僕は思っています。
どんなに良い意見でもその意見で相手を痛めつけたら、相手には痛めつけられたという事実だけが残りますからね。
「ハッとする」って感覚をのこさないと、届く物もとどかない。
伝わる意見にあるものとは
伝わる意見には感染力があるような気がします。相手がどれだけマスクとか防護服を着ていても、それを外して感染したくなるような魅力が。そして、もっと多くの人に伝えたくなってしまうような斬新さもあると思いますね。
例えば、楽しくやっていることを不真面目だ、と感じる人がいます。楽しくやっていれば追求しようと思うはずなんです。ITが趣味の人は道具に手を抜かない。
パソコンが趣味であればできる限り良いパーツを選ぼうとする。こういった自然な熱意みたいな物が仕事にむいたら、めちゃくちゃパフォーマンスが上がるはず。
でも、仕事はつらく苦しい物だって先入観があると、基本的に行動がネガティブスタートなので、パフォーマンスが上がりにくい。
攻撃をする人には教養がない
教養=本来は精神的に自由な人 思考が自由になるためのものです。リベラルアーツは訓練法なんです。変なものに出会った時に反射的に攻撃しない人を教養のある人といいます。
視点の位置を自由に動かせる人は自分の意見に凝り固まりませんから。
ささくれだった言葉の裏にはさみしさがあります。常に。
娘が痴漢されて「スカートが短いからだ!」と怒った父親が話題になりましたが、、じゃあこの父親は悪人でしょうか?むしろ凄まじいショックを受けたはずですね。
父親にとってめちゃくちゃ重いはずです。だから認めたくないんです。自分にのしかかる前になかったことにしておきたいんです。
「他人に優しい人は強く、攻撃的な人ほど弱い」と言われますが、その辺りの論拠はたぶんこの辺にあります。攻撃的な人は実は傷つきやすく繊細なんです。だから他人の苦しみを背負いたがらない。
男は基本的に弱いし馬鹿です。だから強がる。恐怖を直視できない。女性は強いから共感ができるんですね。苦しさをある程度一緒に背負うことができると。
自分が貧弱だからこそ、他人の苦しさを否定しようとしてしまうんです。だってアフリカの子供の苦しみまで毎日一緒に背負ったら自分も潰れますから。
人間には共感という能力があります。でも共感を拒否し、被害者を説教することで、加害者側に立ち共感を拒否することができる。苦しさを背負わなくて済む。
攻撃的になるのはクリエイティブじゃない
議論で攻撃的になるのってクリエイティブじゃありませんよ。俺が正しい?お前に従わないといけない?みたいな二元論になると攻撃的になります。
ブラックコーヒーか、牛乳を飲むかではなく、カフェオレを作り出す意識を持てば、議論は攻撃的にはならず、むしろ雰囲気は良くなりますよね。
餅かおしるこかで迷ったら、おはぎを探しましょう。
「中間」を創発してほしい。
そして、攻撃的な人は他人を怒ると、自分が少し上に立ったような気になりますが、それは盛大な勘違いです。人は「怒る人」を尊敬するわけではなく、「実力のある人格者(怒っても怒らなくてもいい)」を尊敬します。
安易に怒ると自分の実力も人格も顧みなくなりますね。
お客さんの立場になると怒る人や、上の立場に立つと怒る人は、「(上だから・客だから)自分は尊重されるべきであり、これは正当な怒りだ」と思っています。
怒ることは上の立場に立ったつもりになれるし、それを正当化もできる。
すごく安易なんです。能力と向き合わなくて良いので、楽ができる。
だから怒ることを辞められなくなります。
結果的に自分の怒りを正当化しようとする悪循環が起きます。
自分が「ウルトラマン」だと信じ込んでいる人は現実と夢の差に耐えられず、言い返さなそうな人・言い返すと相手の仕事に問題が出そうな有名人などを「悪党」に仕立てあげて攻撃し、攻撃した後に自己正当化して満足する。
有名人も言い返さなそうな人も、率直に言って悪ではまったくないので、本当の悪は自分がウルトラマンだと思い込んでいる人たちです。本当にウルトラマンなんだったら、巨悪にでもなんでも戦ってくることもできるはずです。
責める人は弱い・優しい人は強い
って僕は思ってるんだけど、結局の所「責める人」って何かが揺らいでるから責める訳で。
例えば、OOしないからダメだ!みたいなテーマって、自分の何かがその人がしないことで揺らいじゃってるんです。だから「直接的な自肯定」「遠回しな他否定」をしないと気が済まないんだと思う。
だから他人を責めることで自分を肯定する人は諸悪の根源になり得るんです。結局の所「責める人」って何かが揺らいでしまっています。「揺らぐこと」がパンデミックするからです。
攻撃を辞められるように努力して欲しいと思っています。
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