勝ち負け、負け犬、負け組、という言葉を使う人には僕は協力しません。それ以来この言葉について僕も考えています。
そういう人って「自分がパイを焼いて生み出すことはなくて、パイは奪い合いだ」と考えているからですね。
協力して新しいパイを生み出すことでは無くて、価値の判断が本質的に奪い合いの構造なんですね。
現代、奪い合いがどれくらいあるでしょうか。
格闘技の試合は奪い合っているんでしょうか?
いや、むしろスポンサー収入であったり、動員することでの広告効果であったり、色々とプラスにはなっているはずなんです。
嫌いあって、奪い合っているわけでは無い。
もちろん仲が悪い、という意味あいでは存在するでしょうが、高々、仲が悪いくらいでそういった言葉を使ってしまう人を僕は信頼しません。
なぜなら、言葉への本質的な自信がないと言葉は過激になっていくんです。
構造が弱いから、表層に武器をつけるんですね。
メイウェザーみたいに本当に強い人は試合の前日に東京観光で天ぷら食べてますし、シバターのような格闘技が普通の人は試合相手を煽り倒すんですよね。あれはキャラ・パフォーマンスでやっているので別ですが。
本当に強い人は予告しないし、煽る必要がないんです。小学生に向かって本気で喧嘩している大人がどれくらいいるでしょうか。
表層が攻撃的にならないのは、圧倒的な実力差と自信から来るものです。
攻撃するのは、「見せつけないと周りが実力差を理解しないだろう」という率直な心の働きなんだと僕は思います。
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