攻撃する意図はありません。批判の意図もありません。何かを決めつける意図もないので、僕の理解・推測と勉強してきたことを話してみます。
ですから、あくまで一意見として聞いてみてください。考えるとっかかりにしてみてください。専門家ではないけれど勉強の上でできる限り言葉を選びながら話します。
Vフランクルって精神科医・心理学者がいます。
独自の精神科医理論を打ち立てていて、深く心に染み渡る、考えさせられる著作が多いんですが、うつ病だったり死にたいって言ってる人数百人数千人といる中である共通点を発見したんです。
何とかして自殺を思いとどまらせたい、自殺したいと言っている人に対し
「生きていれば楽しい」「きっと楽しいことがあります」って言っても自殺しちゃうんだと。
「こんな世界に対する影響がありますよ」「期待してますよ、必要としてますよ」と伝えるんだと。
人は人から本当に必要とされている限り死ぬことはないと。このことにフランクルが気が付いた
人が人を必要とするのはその人の能力が発揮されてるときです。何の能力も発揮してない奴を必要とすることはありませんよね。
人を笑わせるって能力とか、力だったりとか、頭だったりとか、歌を歌うことによって歌手は必要とされます。そういうことが人間関係のベースにあるんです。
人は自分の能力を発揮しているとき、周りの人に能力を必要とされているときに幸福を感じます。
あなた自身の実感はどうでしたか?
頼りにされたら嬉しくありませんか?信頼されて信じてもらえて、あなたのおかげで人生変わりましたって言われたら嬉しいですよね。
自分を必要としてくれる人の中に行きたいともいえる
自分の能力は今ここにいると必要とされていない、つまり自分の能力をフルパワーで発揮できる場所に行きたい、必死に必要としてくれる人達の中に入りたいって言い換えることもできる
自分探し=自分が必要とされてないと感じるときにします。
本人が何を目的とするかによって決まる側面もありますが、人間が目を開けていても閉じていても目の前の端末はなくなるわけでは無いんです。
それが認識できているかいないかは変わらない
「生きる意味は何」と問うたりするのは意味が無くて、生きていること自体が僕たちに意味を問いかけてきている。
何かができなくなっても僕たちは生きる意味を失わないんです。
人は自分をユニークにしたいという欲求と、誰かに守られたり誰かを守ったり、取り入れたり取り込まれたりしたいという相反してる欲求があるんですね。
取り込み取り込まれに偏ると自己を実現していないという悲しさが生じる、
ユニークさに偏りすぎると他者分離感が強まる
これが崩れると精神が病気になってしまう
うつ病は生への意義づけに疑問を持ってしまっている状態です。
仕事で結果を出した人が陥ったり全然結果を出せなかった人が陥ったりするのは、これのバランスが崩れているからですよ。ユニークさに偏りすぎたり分離感が強まりすぎたりしていると。
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