自分や誰かが楽にするために仕事ってするんであって、苦しむため・キツい思いをするために仕事をするのは「マメを作るためにバットもって素振り」するのと変わらん。
ボールが楽に簡単に打てるように、という最終目的を一瞬でも忘れると、仕事は「手にマメ作る作業」「マメを作ってない人はアウト」にすり替わっていくと思う。
「大変さ・苦しさを強要する人」は「人間が楽をするために仕事は存在する」という大原則を忘れた人。
オイルを被るために自動車を開発し、馬のウンチを大切な革靴で踏むために馬を育て、喉を傷つけるために歌を歌い、腱鞘炎になるためにパソコンに向かい、事故を起こすために運転をするようになっていく気がする。
もしかすると、仕事をしているその瞬間、今は「ちょっと」苦しいかもしれない。
でも、大きな目的のためにやればだいたい何でも楽しいし、人からありがとうを言われていれば、どんな仕事でもだいたい疲れは吹き飛ぶはず。
それがないのであれば、環境に問題があるのかもしれないし、あなたやあなたの周りのどこかの歯車がおかしくなり始めているのかもしれない。
人間や動物は環境には逆らえないし、動物の進化とかを見てもらえれば分かるように、環境に適応していくようになっていく。自動的に。
だからこそ、環境を整備するためにまずは力を注ぎ込んで欲しい。
その意味で、成功者の近くにいれば成功できるはすごく正しいと思う。目が良く、力の使い方が人とは違い、しかも力の使い方が上手いからこそ成功できる。
環境を十分に整備したその後に、楽をするために仕事をする、という大原則のために活動できるようになっていく。
楽をする=手を抜くわけではない
ビジネスのシステム自体を合理的にすることが、ここで説明している楽をすることです。
それが起業家や事業主としてのあるべき態度ですし、無駄にコストをかけた場合、その負担を背負うのは購入者ですから、それらは単純に責務といってもいいでしょう。
マッチポンプという言葉がありますよね。マッチを付けて火を消すこと。じゃあ火起こし業者があったとして、(そんなもの無いかも知れませんがたとえです)
マッチで火を付けて。すぐに火を消してを繰り返していたらどうでしょう。
「?」
となりませんか?
「いちいちマッチで点火するのでは無くて、その火を分けてくれればもう少しコストが落とせるんじゃ無いか?」
と多少なりとも思うはずです。
マッチポンプをそのまま使ったために、ちょっと例えがわかりにくくなったかもしれないので、もう少し具体的にしますが、大量の廃棄、大量の無意味な広告、これを観た時にお客さんやクライアントと言われる人達はどういった感情を抱きますか?
あなたが弁当屋で弁当を購入した一分後に、棚にある食べ物を全て廃棄していたらどういう気持ちになりますか?
行動には起こさないにしても、何かしら思うところはあるのではないでしょうか。
全力をかけて合理化していくことによって、本来落ち着くべき場所に落ち着いていきます。
是非とも良い合理化をしていくことをお忘れ無く。
努力と成果(生産性)の関係性
努力すれば、小さな労力で大きな成果が上がるようになってきます。
「あいつは今あんまり頑張ってないのにずるい」って発想は、「労力を下げるために今まで頑張ってこなかった」ことに問題あり。長期的視点がなかっただけなんですよね。
だからあなたも徹底的に「楽をするため」に「徹底的に努力」することです。
例えば、受験勉強でのゴールは合格すること。
もちろん努力が好きなことは哲学だし、美学だし、まったく否定しないけど、哲学だとしたら他人に「楽をしていてずるい」って発想は出てきませんから。
人間と未来について 未来に役立つことと役立たないこと 仕事の価値 未来はどこまで予測できるか
人間はどこまで寿命が延びるんでしょうか?
未来予測とかナノマシンって言われる分野です。今後いつかはある種のがんでは死ねなくなる時代がくるはずです。
技術の進歩は心配ですし、テクノロジーもその一つです。悪用って考え方はもちろんできるんですが、進化に心配は常にあります
なぜか。
それは多くの人は危険ってものとリスクの区別が付かないからなんです。人間は危険を避けるためにリスクを増やす生き物だから。
自動車で後ろから猛スピードで突っ込んできたとき、ハンドルを振ったらリスクは増えますよね。「危険は避けられるけど、リスクは増える」こういったバーター関係があります。
なぜがんで死ぬ人が増えたかって、寿命が延びたからなんですよ。じゃあ、テクノロジーが進化したら暇でどうしようって人間がすごく増えてくるはず。
退屈をどう経済学的に処理するかって問題が生まれます。高齢社会は暇をどう潰すかが重要な問題になっていきます。
日本の平和ボケはなぜ問題に上がったりするかというと、暇だなあと生きてても全然生きられる社会は人的資源を遊ばせてるとも言い換えられるからです。
もちろん、暇なのはいいことです。平和だし社会も余裕があるんですから。寿命が100歳とかになったら90ぐらいまで働けるようになるかもしれない。年金ってシステムが終わったのは寿命が延びたからです。
定年を延ばすとか、お年寄りを敵に回すことが言えないんですね。政治の限界として。(理由はだいたい分かると思うのですが)
人間も自然の一部だと考えると良いものに置き換わっていくという考え方はある程度自然だと思うんです。自動車とかパソコンの製造がロボットに置き換わってきたように。
淘汰の中にロボットが入ってきて、新しい種族が入るって考え方がなされてきます。
新たなロボットって種が世界にはびこるという考え方です。
悪いことかどうかは分からないし、積極的に僕は何かを進めることはありませんが、人間が緩やかにサイボーグかされることはあるかもしれませんよね。脳がチップ化されるとか、機械に近づく瞬間です。マトリックスの世界です。
機械とバチバチやるかは別としても。
スマホだってもう身体の一部になってるようなもんだし、最後は脳みそにチップが埋め込まれてる状態が来るかもしれない。
人間は変化し続ける必要がある
動けないと置かれた環境に馴染まないといけない
ネットは抽象化ツールとして移動を可能にするんです。どこかが会わなくても移動ができる。テクノロジー自体がダイレクトに世界をかえるってよりは「いろんな変化が起こる」程度の認識でね。
色々なテクノロジーの変化が一個一個のシグナルでありヒントであって、これを総合するとどういう世界になるんだろうと予測するのが面白い
総合するってことは抽象度を上げるってこと
無数のヒントを一個の何かにする
そういう訓練をしてみましょう。トレーニングをしたらいいと思います。
漫画とか。
いろんな人達の思惑が絡んで一つの物語ができる
それらを俯瞰することができる
漫画とか映画の見方は視座として確立してる人は勉強になるけど、娯楽って位置付けでしか見れないと暇つぶしのアイテムにしかならない
でも教えられないこの漫画はこう読めとかは。最近の漫画はフォーカスが狭いとこにあたってるんですよね。
世界の流れの中で日本の流れが起きるので、
歴史学 時間の流れの中で今を見れる
地政学 横の広がりと流れで今を見れる
この二つを組み合わせることによって精度の高い現状認識と未来予測が出来るようになります。簡単ではないけどこれを避けてる人は近視眼的になってくる傾向があると僕は感じます。
仕事の価値とか、全ては人による
価値がある・役に立つ・意味がある。とか、それはほんと自由です。僕らが役に立つ、役に立たせなきゃいけないみたいな感覚は既に旧世代なんです。
役に立つ7割:3割くらい意味ないものだったり、もっと比率が逆になってる気がするんですよ。
今は役に立つとかの定義が違う。
その時が楽しいってこと。
でも、回り回って役に立つことをしている人の滋養になっていたり。
文化がないと人間は生きられないけれど、文化の範囲が拡大してきたような感じがしますね。
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