やらされている感を減らすこと
さて、あなたの周りの楽しそうに仕事をしている人は
「やらされている感」
がないのでは無いでしょうか。同じ分野でも。
業種が同じ、分野も同じなのになぜあんなに楽しそうなのかを考えると「どれくらい自分で主体的に選択できているか」に収斂すると僕は考えています。
「面白い仕事があるわけではない。仕事を面白くする人間がいるだけなのだ。」三木谷浩史
という楽天の三木谷さんの名言があるんですが、要は「何をするかではなくてどうやるかだよ」と。
例えば、世の中にはギターで食っている人間もいれば、習字で食っている人間も、文学で食っている人間も、哲学で食べている人もいます。
逆に食べられない人もいる。
ギターの魅力が分からない人も、習字の魅力が分からない人も、文学の魅力が分からない人もいます。
それは、何をやるかじゃないんです。どうやっているかだからなんです。
仕事と趣味の差
ある人は魚を釣って稼いで、ある人は魚を釣って仕事を忘れる。
ある人は野菜を育てて稼いで、ある人は野菜を育てて元気を貰う。
ある人はパソコンの前に行くとうなされ、ある人はパソコンを一日中いじり、自分でパソコンを組み立てる。差は何かって考えると「やらされてる感」があるかないか。どんなに本来的に楽しい仕事でも、「やらされてる感」が出てくるとつまらなくなってやる気がなくなるんです。
本当の意味で「常に100%楽しい」なんてものはなくて、好きな仕事をしていても、お客がとんでもないクレーマーだったりすると一発で嫌になったりするわけだし、最後は好き嫌いでは無くて、自分の考えで道が選択できている感があるかどうかなんだと思う。
何かの楽しさはコントロールする時に生まれます。
コントロールできることの幅といってもいい。お小遣い500円だったのがバイト代で何万かになり、大人に近づくにつれて何十万かになってく。これが狭まればだんだん体が動かなくなるようなもので、当然苦しい。
ものごとが仕事になったり趣味になったりするのはコントロールできる範囲の幅の差。「いつでもやめられる、やらなくてもいい、でもやってもいい」と言う気持ちが楽しさを生む。
つまり、逆説的だけど「辞められないもの」の楽しさはだんだん薄れるんだと思う。Youtubeで手錠生活ってあったけど、どんなに好きでも24時間びっちりだと必ずキツくなる。
仕事をほんの少し忘れるためにも趣味があるんだと思うので、趣味に凝り性な人は比較的仕事のレベルも高い気がする。仕事への凝り度合いと趣味への凝り度合いはある程度近い気がします。
で、コントロールできないのって、チュートリアルだけのゲームをやっているようなものですよね。「あとは自分でやってみて」がなくて順番とか手順とか0から100まで全部指定されるようなもの。
他人と比べることを辞めて欲しい
ずーっとポジションの比較をしてませんか?
あの人より俺・私はここが劣ってる。いや、でもここならできるし、と。営業はできないけどプレゼンは上手い、とか、経理が分かるけど営業ができない、とか。
良い部分を取り入れるという発想に頭を切り替えて欲しい。
つまり、没頭してないんですね。ずーっと比較ばっかりしてる。だから比較している人って楽しそうじゃないんです。
子供が楽しそうにサッカーをやっているのは没頭してないからです。
「OO選手と比べて7歳の僕なんて」とずっと考えていたらサッカーを辞めたくなるはずだし、嫌いになってしまうはずです。むしろなんで自分はこんなスキルしかないのかと苦しくなるんです。
没頭してるんじゃなくて比べてるからきつい。
「大変なこと」って没頭がなかったりしませんか?
もしくは疲れすぎて没頭できなくなっていたりとか。
あなたは仕事に没頭していますか?
人間の代表的な問題は二種類。人間関係の悩みとお金の悩みを解消する方法
で、今日は更にあなたの周りに起きている問題の整理をできたならと。
人間の問題の多くって、どんな悩みから生まれるんだと思います?
ちょっと考えてみてくださいませ。
、、、
、、、
、、、
人間の悩みのほとんどは、
- 他人に好かれる
- 選択肢をとれるくらいの金を稼ぐ
ことでほぼ解決します。(条件がややこしくなるので、ひとまず、日本に限定して考えてみてください)
問題解決の流れは
問題を理解し
解決策を考え
判断・決定するだけです。
そして、原理的には悩みを解消する方法は2つしかなく、
- 乗り越える
- 忘れる
というどちらか一方からのアプローチに収斂します。
言うまでもなく、人に好かれるのか金を稼ぐのかという選択肢は「乗り越える」側面から考えています。今のところ、僕はどちらの方がいいとか悪いとか、という判断はしていません。どちらでもいいと思います。
ただ重要なのは、どちらかをきちんと選択し、「解放」することです。何もしないで自分の中にため込んでいくのが一番ダメです。いつか大爆発するからです。
忘れるために時間を経過させたり、旅行に行ったり、乗り越えるためにカウンセリングを受けたり、話を聞いてもらって客観的な視点を貰ったりしますよね?
どちらかのアプローチを自然と取っているはずなんです。
良く考えてみてください。
職場の人間関係、家族関係、友人関係、異性関係などなど最悪ならお金が稼げても不幸だし、おかしくなってしまったりもするでしょう。
人間関係が最高でも、日給2000円で毎日モヤシ飯とかじゃ、やっぱり幸せにはなれない。
最低限、「選択肢が充分にある」くらいのお金は必要です。選択した上でそれだけ稼ぐのであればいいんですが。
ちょっと余談ですが、「お金だけが全て!」「お金なんて本質じゃない!」と行っている人達は、どっちもちょっと外しているわけですね。「両方」が必要なんですよ。
もちろん、あなたが知りたいのは「好かれる方法」と、「金を稼ぐ方法」のはず。
この2つの方法を今日は整理していきましょう。
まず、「人に好かれる方法」はシンプル。
「自分のことを嫌ってくる人間を、自分の視野に入れないこと」
これです。笑
「とにかく沢山の人に自分を好きになって貰おう」と考える人が多いんですが、そうではなく「自分を嫌ってくる少数の人」を視野から削除するんですよ。「視野からの削除」をおすすめする根拠がいくつかありまして、
1.自分のことが嫌いな人間とは対話が難しいから
2.難しい対話に時間をかけるより、新しい関係を作ることとや、好意を向けてくれる人に使った方が効果が大きい
のふたつ。
まず1つめ。なぜ自分のことが嫌いな人間とは対話が難しいのでしょうか?
重要かつ、勉強していただきたいポイントに、「対話が成立する条件」ってものがありまして。
対話が成立するためには、
A・双方に敵意がないこと
B・双方に対話への合意があること
が必要です。ポイントAから。
どちらかに敵意のある対話は嫌みであり、悪口であり、攻撃になってしまう。「お前が嫌いだからお前の考えは間違っている!」の範囲を抜け出せない。嫌いは「感性」なので、いくら論理で諭したところで逆効果です。
こういう人とは、いくら冷静に話をしようとしても、対話自体が難しいわけです。相手はこちらを攻撃し、やっつけ、痛めつけようとしか思っていないわけですからね。
そしてポイントBですね。双方に合意がない対話とは何か?
「お説教」です。
・・・双方に合意がない対話は、「お説教」に近づいていくんです。
例えば、僕のメルマガを登録してくれている人は、僕からのメールが届くことを今か今かと待ちわびて、届いたら(そこそこ)喜んでくれているんだと思います。
が、誰それ構わず送りまくっていたら、その人にとって僕のメールは「スパム」ですよね?メルマガ登録を合意してくれたからこそ、僕からのメールは「スパムメール」ではなく、「喜んでもらえる情報」になっているわけです。
合意がないコミュニケーションは迷惑なんです。誹謗中傷とかクソリプってものもこれと同じ原理で嫌がられますよね。
一度まとめましょう。
双方に悪意がないこと
双方に対話への合意があること
対話を成立させる条件でした。十分にあなたもお気を付けて。特に、後者を自分がやってしまっていないかは、一度振り返ってみても良いと思います。
次に、お金を稼ぐ方法。
今日の話のキモになる部分を。「稼ぐ」と「稼ぎ続ける」は違います。稼ぐことは生きることです。「生きること」と「稼ぐ」ことは直接連動する。自分でビジネスをしないと少し分かりにくい感覚かもしれませんが。
なので、生き方が未熟な人ほど「スマホで稼ぐ」とか言ってしまう。笑
で、僕が考えるお金に困らない習慣。ちょっと抽象的になりますが、お話ししておきます。
お金に困らない習慣とは、
スマホを持っていることでもなく、笑
PCに集金マシーンを設置することでもなく、
おすすめのビジネスを聞くことでもなく、
「新しいことをする」
だと思っています。例えば、会社は失敗確率が低くなるように仕組みとして作ってありますよね。
で、そのシステム自体は良いことなんですが、本来一番重要な、「新しいこと」を始める筋肉が衰えるんですよ。失敗が悪いことだとすり込まれ続けるんです。
新しいことを始めることができれば、死ぬまで食えますよ。
失敗の重要性について
凄く重要な考え方として、絶対に忘れないで欲しいのですが、成功者は「失敗」になんら固執しません。
もちろん失敗がしたい訳ではないでしょうが、エジソンが「上手くいかない方法を発見しただけ」だと話していることと密接にリンクします。
世間で失敗とされることを成功だと考えることは、かなり勇気のいることです。そして、「失敗は成功の元」をスローガンとしてでは無く、本当の意味で五臓六腑に落とすには、本気で努力した経験が必要になります。
じゃああなたの仕事がつまらない原因は
やり方が悪い
んじゃないかと。
もちろん、分野が悪いわけじゃ無くて意味づけや定義づけの問題です。
一つの仕事をどう解釈するかによりますよ。事実なんてものはなくて、ほとんどのことはただの解釈ですから。
※環境が悪い場合は環境を変えることにコストをかけましょう。
どんなときに楽しい楽しかったが分かるのか?って、
結局やってみて確かめないとどう感じるかが分からないんですよ。一つのノウハウやカリキュラムを使ったとして、それが向いてなかったらアウトですよね。
色々手を出してどう感じるかを探り当てていけば良いんです。
で、仕事なんて自分流にやっちゃってください。上から言われたとおりになんてむしろやらないください。
自分で考えてるから面白くなるんです。
やらされてたら何やっても面白くないし、自主的になんてできませんから。
一度自分の好きなことを抽象化してみましょう。
乱暴な例なので自分で考えてみて欲しいんですが、
絵が好き、写真が好き、アイドルが好き
これは例えばですけど、綺麗な物が好きに抽象化できますよね。
一度抽象化すれば綺麗なもので好きになれそうな分野が他にも広がってくるはずなんですよ。
好きじゃ無いと続きません。続かないとナレッジが貯まらないので改善ができません。
極端にビジネスに振るかすごく好きな分野しか人は続けられないんです。
楽しくないのは意義が感じられていない=好きじゃ無いのが問題です。
好きであれば成功できます。成功は金銭的成功だけでは無いでしょう。
成功している自分が楽しくなります。そうすれば、仕事の良いところが見えてきて楽しくなります。
切迫している人に仕事を頼みたい人なんて早々いませんよ。
楽しく仕事ができるかどうかは抽象化と言語のセンスによる
物事には「意義」が必要です。独立してるはずなのに雇われ感がある人もいるはずなんですよ。それは意義がないからです。もちろんこれは逆も然りです。
一回抽象化して俯瞰しないといけないんです。一段手間があるってことを認識しないとつながりとか意義は見えない
この辺の話はちょっと前の記事でも紹介してますのでどうぞ
今の仕事がつまらないと感じる人へ。仕事を楽しくし、人間の魅力を身につけるには。
抽象化にはなぜを使え
抽象化のインストラクションとして一番簡単なのは「なぜ」です。なぜレンガ積んでる?って話が有名ですよね。なぜ地域のコミュニティの笑顔が大事なのとか聞いたときに、6回くらいなぜを使えば相当抽象化されます。
他人になぜを使うなら聞き方を考えろ
聞き方が怖いのはだめ 非難されてるように感じるし、詰問されているような感じになるからです。なぜここにいるのみたいな。
聞き方はなぜを使わずになぜと聞くことで、多少印象を柔らかくすることができます。
もっと頭を使え!とか主体性を持って動け!という言葉について
言われたことに従わない=自分の頭で考えている
こちらの言ったことを聞かない=自分の頭で考えて動いてる
ってことだと思うんだけど、こちらの言ったことに応えてくれなかった、という不安や悲しさから、「俺に従っていない!」→「もっと頭を使え!」ってなっちゃう人いますよね。
頭を使え!って言いながら言ってる側に従って貰おうとするのって、それ自体が矛楯な気がしてた。悲しい性ですねえこれは。
主体的に動くことと流されることの差
反射的と主体的の差はどこにあるのか。誰かの何かに反射することと主体的に動くことは違うなと。それ間違ってるよ、もっとこうした方が良いよってのは反射的。自律して、0→1を生み出すのが主体的ってことなんだと。
主体的に働くとは何か
「問題解決する能力」なら人から与えられた仕事でも身に付きますが、「問題を自分で見つけていく能力」は、主体的に動いているときにしか身につかないんです。
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