今日は、
高圧的に激しく怒る上司
キツいことを言う上司
暴言を吐く上司
は、リーダー失格なんじゃないのって説についてお話ししていきます。
あくまで僕の個人的一意見ではあるんですが、不当に詰められている方や、高圧的に激しく怒る上司に迷惑している方はこの記事を読んでみてください。
ちょっとは憂さ晴らしにもなるかもしれません。
僕の大学時代の心理学の教授が「鋭い名刀を持って生まれた人は鞘にしまうために苦闘するけど、なまくらを持って生まれてしまった人は必死に鋭くなろうとして、ガトリングガンを仕入れてきて人を中傷する」と言ってました。
「本当に鋭い人は自分の鋭さやある種の危なさに気が付いているので必死に自分を抑え、鈍い人は鋭い人に憧れているので表面的にキツくなるんだ」と言ってて、実体験から心底納得した覚えがあります。
本文に入る前に二つ引用。
リーダーとしての能力の第一が、人の言うことを聞く意欲、能力、姿勢である。聞くことはスキルではなく姿勢である。誰にもできる。しなければならないことは、自分の口を閉ざすことである。ドラッカー 『非営利組織の経営』
部下が思い通りに動かない?いつまでも細かく指示を出して、その通りに動かないと不満を言ってたら、部下は指示待ち人間になってしまいます。これ、部下の責任ではありません。リーダーが指示待ち人間を作っているのです。大人は自分で考えて動けます。リーダーほどは上手にできなくても。ドラッカー「マネジメント」
きついことを言う人は二種類
キツいことを言う人には2種類いるんだと、僕は考えています。
- オブラートに包む手間をお互いに捨てて硬球をキャッチボールするのか
- グレネードを投げることが相手の目的なのか
2の人はきついことを言うのがいかに大事か、みたいな話をすぐにしたがるし、死球になって相手が痛そうにしても軌道を変えません。
「誰かに良い変化を起こす」って目的と、「キツいことを言う」って手段がすり替わってるからですよ。「キツいことを言うこと」「詰めること」が最終目的になってるんです。
人間には元々ブレーキがなくてアクセルしかなく、成熟するにつれてブレーキが育つんだって哲学者の人が著書に書いてたんですが、パワハラする人とか、キレまくり老人とかって、ブレーキが故障したのか今まで育たなかったのかどっちでしょうね。
僕は嫌なことを一度されたとき、こっちが嫌そうにして相手がそれを辞めたなら「ああ価値観の相違だな」って納得するんですけど、嫌そうにしても延々嫌なことをすることを正当化する人からは即、距離を置きます。
なぜなら何かしらのメッセージの伝達ではなく、ただ嫌なことをすることが目的化しているからです。メッセージを本当に伝達したいなら方法には拘らないと思うんですね。
「言いたいことを言えれば相手が怒ろうが嫌がろうが関係ない」って言う人がいますが、じゃあカラオケボックスで言えば?と言ってもそれはダメらしいんです。「言いたいことを言えれば良いはず」なのに、なぜでしょうか。
「相手に何らかの変化を起こしたい」という本当の目的に向き合ってないと言葉が雑になるんですね。そういう人って、自分にいつも嘘をついているんです。
怒りでは人はモチベートされない
怒りでは人は本当の意味で影響は受けません。必要なのは相互理解です。
怒っている人の話を聞くのは「その人が優れているからでは無く、怒る人はなにしでかすかわからないから、本能的に最優先される」というただの人間の本能です。
そこで下らないことを言えば、その人の話は二度とまともに取り合ってもらえませんよ。だって実力以上の話を人のリソースを奪う形で聞いてもらおうとしているわけですから。
これが分からず上に立ってしまっている人が多すぎるので、僕は最近、「上に立つ人間には資格を設けた方が良いのかもしれない」とまで考えるようになってきました。
上に立つために必要なスキルですね。
知性
コーチングスキル
課題解決スキル
課題発見スキル
などなど、、、
年功序列だけで出世させるのは間違ってるんです。そして、先ほども話しましたが、詰めることを正当化する場合は、その環境から逃げ出した方が良いんです。
上司が「詰めることを正当化」する場合って往々にして自己責任も強制するのが大好きなはずですが、自己責任の強制って、「自己責任を主張している人」は「他人に責任を押しつけている」んです。笑
ややこしくなってきましたが、伝わりますでしょうか。
そんな当然の自省すらできない上司の下にいても良いことないです。
詰めるのは簡単です。
工夫する必要がありませんから。
感情のコントロールをする必要もありません。
言葉を練り上げる必要も、部下の心情を理解する必要も無い。
そして、詰める人は身の丈以上の権力を誇示できるので気分が良くなり、快感に溺れます。w
だから自己正当化し、攻撃をやめられなくなっていきます。
で、極論ではあるんですが、これから書くことは結構真理だと考えてて、
人を攻撃するときは必ず自分が言われて辛いところを相手に向けて攻撃しようとするので、攻撃しているポイントがその人のコンプレックスなはずなんですね。逆に言えば褒めるときも褒められて嬉しいポイントを使って褒めるはずなんです。
あいつは稼いでいて許せない!と怒る人はその人より稼いでいない人だし、あいつは弱虫だ!と怒る人は自分の弱さを誰よりも恐れているし、ゲームが生産性が無くてだめだ、などと言う人はゲームを楽しめない(楽しめなくなった)人なはずなんです。
孫さんが年収400万の人に怒るとはあんまり考えられないし、格闘技でトップをとった人が小学生にキレるとは考えにくい。
オリンピックの水泳でドーピングで優勝した中国人が、2位になったイギリス人に「お前は負け犬だ」ってやってましたけど、実はあれ、実力では勝てないんじゃないか、という自分のコンプレックスが露呈することを恐れて攻撃したんですよね。
そもそも優勝が嬉しい、認められたい、水泳を極めたいってモチベーションでは無く、負けることが怖い、という発想が先にこなければそういった言葉は出てこないわけです。「負け」という言葉が誰よりも頭の中にこびりついてる。最大限努力した結果、結果をひたむきに受け入れるという発想であれば、負けても勝っても清々しく美しく終われますから。
怒りは部下に伝染する
誰か一人が怒っていると、
ギスギス感
ストレス感
は伝染して組織がドロドロしていくんですよね。怒りをぶつけられた人が、別の場所で怒りを発散しなくてはいけなくなる。まあ、怒りとまではいかずとも、その愚痴を言わなくてはいけなくなるんですね。
ある意味で「詰める上司が共通の敵」になり、その他で結束が深まることもあるかも知れませんが、そんな形で結束深まっても、会社全体としてネガティブだし、不健康なのです。
怒る人・詰める人って仕事に感情をしっかり持ち込んでいる
怒る人、詰める人って、仕事にがっつり感情を持ち込んでいます。
良い感情ならいくらでも持ち込んでくれていいよ、と僕は考えていますが、怒る上司とか、部下を詰める上司って悪い感情を出してしまうじゃないですか。
わがままな子供と同じですね。もはや、子供にも失礼かも知れません。
本当の意味での効率を考えていない
相手に動いて貰うには、相手に「気持ちよく動いて貰う」ことが最短ルートです。
で、怒る人は「怒り」で人を動かそうとしている。やっていることは長期的な目線の欠如なんですよ。
恨まれるw
そんな人に上に立って貰いたいかって話で。
合意を引き出そうという場で相手をモグラ叩きして、何がしたいのか理解に苦しみます。
無能についてこんな法則があります
ピーターの法則。これはご存じな方も多いかもしれませんが。
能力主義の階層社会では、人間は能力の極限まで出世する。したがって、有能な平(ひら)構成員は、無能な中間管理職になる。
時が経つにつれて、人間はみな出世していく。無能な平構成員は、そのまま平構成員の地位に落ち着く。また、有能な平構成員は無能な中間管理職の地位に落ち着く。その結果、各階層は、無能な人間で埋め尽くされる。
その組織の仕事は、まだ出世の余地のある人間によって遂行される。
Wikipediaより引っ張ってきましたが、つまり、人間は能力の限界まで出世するので、限界ポジションに着いた時点で無能になってしまう。
すごく残念ですけどこれが現実なのです。
詰める上司への対処法と対策
とある例えを使ってお話ししましょうか。
無名な一般人はすげー犯罪を犯しても中々炎上しません。相当ではない限り。
でも嫌われている人はちょっとしたマナー違反をしただけで大炎上しますよね。
つまり、攻撃されるのって単に嫌われているんです。過去、僕もありました。あなたもそうなんじゃないでしょうか。
散々書いてきましたが「嫌い」という感情の前にはどんなロジックも太刀打ちできないので、速攻で逃げた方が良いと考えてます。
むかつかれていることと、詰められている人(恐らく読んでいるあなたは詰められている側ですよね?)がダメかどうかは全く関係ないです。
あなたがダメで怒ったり詰められたりしている訳じゃないんですよ。残念ですが、嫌われちゃってるんだと思います。
人によっては、成功者や自分より上手くやっている人に嫉妬し、むかついたり、嫌ったりするので。あなたが上手くいっているから失脚させたいのかもしれない。
つまり、単純に「詰める側の人が納得していない」ってだけで。
もちろん、「詰められているあなた」が絶望的にダメな場合もあるでしょうが、w
でもそうじゃない。
その場合は詰める側の人がマネジメント力やコミュニケーションで解決すれば良いだけで、詰めることを合理化する理由には不十分ですね。その人に、マネジメント能力もコミュニケーション能力も交渉力も無いから、詰めるという安直な行動に出てしまう。
なので、詰められたり・むかつかれている = ああ、単に性格の不一致だなと捉えればOKだと思います。そういう人は自分がむかついている理由を何としてでも相手に求めるので、たぶんいつかは対抗できなくなります。「仲良くなる」しか対処法がない。
嫌われているというのは条件の一つであって、あとは、それに加えて「怖い」という感情も一緒に持ち合わせているんだと考えています。
部下の仕事のミスを自分が背負うことが怖いから、詰めることによって責任を全て一人で背負わせようとする。
共感することで深刻なダメージを負う場合、どれだけ近い人間であっても共感が成立せず、説教する側に回るんですよね。例えば、恵まれない世界の子供達に日々共感していたらしんどすぎて動けなくなるはずです。
だから人間はある程度共感する範囲を絞っている。
「痴漢被害者を説教する人」は共感すると自分が辛くなるからです。その辛さに耐えるだけの器が無い。
だからこそ、説教する側に回ることで偽の正義を自分の中で成立させ、苦しみに共感せずに自分を守っている。実は、繊細な人ほど共感がしんどく、図太い根を張っている人は共感してもなんともない、と。
繊細な人は自分の弱さに巨大なコンプレックスを持っているので、共感している人を弱いんだ、とこき下ろす。自分が一番言われたくないことを言っているわけです。で、言えている自分は強いんだ、と勘違いするわけですが、そりゃ強そうに見えますよ。だって苦しさを全て人に押しつけて、自分は何も背負おうとしていないんですから。
詰める人はなぜ詰めようとするのか
詰める人って合理で詰めてるって思い込んでるんですけど、ギリギリまで合理的に考えると世界中にはもっと詰めなくてはならない人がいるはずで、結局の所詰める相手は好き嫌いとかで選んじゃってるから嫌なんですよね。
嫌だから言ってる、なら理解できますけど、合理的にやってる言い訳は、自分の感情に向き合えてない感じがすごく嫌です。
お前のため論
そして、自分ではなく「他人のために怒る」という謎の前提は攻撃をエスカレートさせます。
「お前のために言ってるんだぞ!」が良い例です。これを言ってきた人で本当にお前のためを考えてた人に会ったことがありません。
「私は信用できる人間です!一生嘘つきませんから!」
って自己紹介してきたらすげー怪しい人ですよね。(ちょっと面白いかもw)
つまり、行動で示せないから口で言うしかなくなっちゃった、と。笑
「お前のため」って言葉がやってることは、反論を「別の誰か」にずらしてる。
「お前のため!」って言葉に反論したら「お前」(詰められている側)が悪くなりますよね。社会のためにやっている!とかを隠れ蓑にしたりする。
この場合、詰められたり怒られたりしている人に反論の矛先をずらしてるんです。
要は反論を受けず、責任も持たずに相手を攻撃したいだけんですよ。
例えば、
「言い過ぎじゃないですか?」と反論を受けても、「話を聞かないお前はだめだ!!」と矛先を相手にそらすので、循環論法が成立してしまう。
「言い過ぎていること」と「話を聞かないお前はだめ」は対じゃない。
言い過ぎていることへの「解決策」はこれ。
「言い過ぎていたのか」
「それなら言い方を変えて、話の本質の部分をちゃんと伝わるように聞いてもらおう」
本来これですよ。伝え方が9割!!
、、わかります?
ちょっと逆に分かりにくくなってたら申し訳ないのですが。笑
実は、本当に話が聞けていないのは、詰めたり、説教をしている側。
説教や、詰めることを合理化する相手にとって、怒ることや説教や詰めることって、元から対話の形をなしていないんです。
つまり、自分の発言に対する反論を全て「お前」に受けさせ、「だから話を聞かないお前はダメなんだぞ」と論点をそらす。
まさしく鏡と話してるようなものですよ。
だからこそ「本当にヤバい奴ほど永遠に野放しになってしまう」んです。リアルにこれやってる人もいるので、十分気をつけて。
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