仲の良い職場の方が良いとか、仲の悪い職場の方が仕事に真剣だとか議論されてますけど、どっちもちょっと的外れなきがしているので、僕なりに考えを書いてみようと思います。
例えばチームスポーツを想像してみてください。
野球とかサッカーとかなんでもいいです。
これ、ライバルがチーム内にいると全体が伸びたりしますよね。お互いに高め合うアニメとかでありがちな展開ですが。
競争的であることは場合によっては機能する場合もなくはないんですね。ですが、一般論としては競争的であることは良くないであろうって結論に至ってきてます。
それはなぜかをもう少し解説していこうと思います。
利他的な生き物が「コミュニティ」では勝つ
利己的な要素をもつ個体が「競争」では勝つ
使い分けられないといけない。
会社の中では利他が使えた方が良く、対外的には利己を使えた方が良いと言うことです。ですが、これがだんだんごっちゃになってくる訳ですね。
社会と社内の間で重大な矛楯が起きてるんだ、というわけで。
この矛楯を認識することなしにどちらがいいかを決定することはできません。いいたいのは使い分けです。
社内に限っては利他がよい、と。
例えば、甲子園の舞台で「相手の最後の試合だ…どうしよう…」とかを気にしていたら思いっきり勝てなくなりますね。
ただし、コミュニティが競争的であるのは好ましくないんです。
出し抜くことが推奨される状況では、脚を引っ張り合う状態に自然とルールがすり替わってくるからです。
脚を引っ張り合うことが正当化され、チームで勝つことって重大なテーマからチーム内で勝つことに話がすり替わり気味になってしまうと。
チームとしての目的がライバルコミュニティで勝つことが目的なら競争を取り入れてもいいかもしれませんが、ほとんどそういう状況ってのはない気がします。
攻撃って基本的には敵だと認識してる、ある種の先制的な防衛ですから。
でですよ、ピーターティールとかは競争した時点で既に負けてるんだって書いているんですが、競争的なパラダイムでビジネスを捉えて整理するのが今までのメインストリームだったので、パラダイムをシフトすることができないんですね。
じゃあYoutuberで考えてみましょう。
HIKAKINがはじめしゃちょーと競争していますかね。
多分ですけどそうじゃないと思うんです。
むしろ仲良くした方がお互いにメリットがでかいし、紹介やコラボで影響力を分け合えるし、HIKAKINファンは絶対にはじめしゃちょーファンになるわけでも無く、逆も然りだし、両方のファンって人もいるはずなんですね。むしろHIKAKINがはじめしゃちょーをアンチしていたらむしろみっともなくて嫌いになる人の方が多いかもしれませんね。
だからこそ、競争する必要が無い土壌を育てることがすごく大事になってきました。なので、表面的にこっちから勝手に敵を設定すると、一人で空回りして一人でぶっ壊れることになります。
空転した歯車は傷ついて、いつかは破損してしまう。
いや、競争相手は常にいるんですが、事業主や起業家が勝手に設定してはダメなんですよ。
例えば僕はAppleユーザーですが、Windowsと迷ったことはありません。表面的に競合を捉えるとWindowsになるんでしょうが、Windowsではなく、Apple製品を購入することを決定した上で、お金を配分するかを考えることはあります。ちょっと分かりにくいと思うので補足します。
つまり、10万円のソニー製テレビの競合は10万円の電動自転車かもしれないということです。
ソニーのテレビの競合はパナソニックのテレビとは限らない。
Macの競合はWindowsとは限らない。
テレビ局やテレビ番組の競合はテレビ局では無く、本かもしれないし、アロマかもしれないし、、ということです。色々な可能性を考えてくっつけて貰えれば、抽象的な部分で共通点が見えてくるはずです。
「本当の競合」は顧客にしかわからないんです。競争ばっかりしていても仕方がないんです。
この辺りはどうかお忘れ無いように。
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