最近儲かることと人を助けることはほとんど同じなんじゃ無いかとようやくパラダイムがシフトされてきたので、共有してみたいと思います。
まず、あっちが不幸になればこっちが幸せになる
は必ずしも真じゃないですよね。
そして、向こうが得をすればこっちは損をするのか
これも真じゃない。
むしろ誰かに嬉しいことがあると、そのおこぼれがあったりする場合の方が多いし、あなたに嬉しいことがあれば、他の人に優しく接したりすることができる場合の方が多いと思うんです。
で、僕が思うに、ビジネスセンスの無い人特有の発想は
全てをゼロサムで捉えていること
両方が幸せになるという発想ができないこと、だと思っています。
両方が得をするという状況をWin-Winという言葉でしか理解していなくて、Win-Winがすごく特別な状況のように考えていること。むしろWin-Winで当たり前だろ、くらいに考えていて欲しい。
儲かることと人の役に立つこと
僕がビジネスに参入する基準ってのは実質3つで、
儲かるか
やりたいか
人が助かるか
3を満たすと1も自動的に満たされる場合がすごく多い。つまり、助かる業界は儲かるし、儲かる業界は助かるということ。
もちろん、全てが全てではないんですが、ほとんどの場合この基準に従って貰っても僕は構わないと思っています。
社会的意義は必要か?
社会的意義なんて考えなくて良いんですよ。
なぜか?
それは、非常に「意義」とかはあやふやなものだからです。誰かが決めてくれるものではなく、結局自分が意義を信じられなければ、どんだけ大義がありそうな仕事でもつらくなる。
音楽や文化は「生きる上では関係ないように」「一見」見えますけど、それがないと楽しさがなくなって多くの人のやる気を奪ったりします。仕事に取り組むモチベーションを失ったりします。
「人はパンのみにていくるにあらず」って言葉がいにしえからありますよね。つまり、新しい業界や、文化に貢献している業界や、直接社会的意義に関係なさそうな業界って、衰退をある種の新しい要素によってフレッシュにしてるわけです。
社会をぐるぐるかき混ぜて、衰退や沈殿を防いでるんです。
だから人の役に立つかどうか、とかは考えなくても構わない。
例えば、100万の超高級オーダー服を買って喜んでいる人がいるとします。じゃあ1000円の服と比べてそれは「役に立つ度」が低いのかとかは関係ないですよね。むしろ100万円って対価に叶う商品だったから。
お客さんが100万円のスーツを買うことで、仕事へのモチベーションを上げて、多くの人を仕事を通して助ける人になるかもしれません。それは誰も分からない。
あなた一人の仕事だけで社会が成り立っているわけでは無いし、意義を考えすぎるのはむしろ「デカいもの」として仕事と「意義を成せるもの」として自分を捉えすぎなのかもしれない。ちょっとした過信なのかもしれません。
社会が一人の人間だとしたら自分なんて爪の先のささくれくらいだ、と思っておけば、意義とかでは悩まなくなってきます。
お客さんが満足しているかが全てです。
お客さんが満足していないならそれは問題です。
ある種の刺激を加えることが仕事の大きな意味でもありますから。
じゃあ、Youtubeの生活を公開することに社会的意義があるのか?って議論しても誰にも分からないんです。意義がある、って言う人もいるでしょうし、意義なんて無いって言う人もいるでしょう。
つまり、「分からないことにうだうだ悩んでいる時間は無いんだ」「とりあえず何かしらをしないといけないんだ」って方向性に頭を使うことを意識してみて欲しいなと思います。
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