お金はすごく平等な基準です。人物本位にすると世界は不平等な場所になってしまう。お金で計れるせかいは凄く平等で残酷なのです。
挽回ができないから。スポーツで点数とるやつは悪人ではないですよね?
でも顔とか性格とか鼻の形とか性格で選ばれたら厳しいはず。まずはこの辺を頭に入れていただいた上でこの先を読み進めてみてください。
お金と幸福度の関係
ライバーみたいなYoutuberとか、お金が入ってきてなくてもちやほやされますよね。トータルで言ったらお金持ちでは無くても幸福度高いかもしれない。
色々な文脈が増えた どっかでは優れてるって文脈が増えてきたのは平等に近づいてるということ。本当にお金持ちが幸福度高いならお金持ちは自殺しないですからね。お金と幸福度が関連しない一つ目の理由です。
オプションがどんどん増えてる時代ですから、スポーツの種類とかも増え続けてますよね。
社会的地位→古い常識に左右されてる基準です。
昔ほど色々な業界が日陰じゃなくなってる
セクシー女優って形でテレビに出れるようになってきたり、社会的地位も向上されてきています。
その代わりに、どんな時代でもいらないものはなくなっていくし、いるものが入ってくるから、むしろ、いらないものをなくなる社会を作らないといけない訳ですね。
火縄銃今でもみんな携帯していたら嫌ですし、怖くありませんか?笑
今でも日本刀振り回されてたら怖いですよね。
現代は何かをするのにお金がかかるからお金が必要だからお金があるわけで、お金がいらなくなったらお金はいらない社会が来るわけです。何となく伝わりますでしょうか。
数字やスペックで表現できないものの価値
ゴッホの絵とか、そこにロマンが有るから高くなっています。
増えないものの価値は下がらないんですね。
今後は、純粋に好きか嫌いかで物事を決めていける時代になり、お金が尺度として意味を成さなくなっていく時代がくるはずです。
そんなに働かなくていい未来が来たときに何が大事なのかって
興味がどこにあるのか
ってことです。
暇をどう使うかってことです。
独占・支配したり、そういう方向の方が簡単で安直で強くて、だからGoogleとかが牛耳るようになるんです。管理のコストが下がるからです。
足遅いのにボルトになりたい人は不幸だし、話が面白くないのに芸人になりたいと不幸になります。
つまり、適切に自分のいるべき場所を選ぶ必要があるんです。
お金持ちでもお金でメダルは買えない。
お金があるかないかは幸せと関係ありません。ある程度は自分の興味と方向性の選択に収斂します。
幸福度を高めるには尺度を増やすこと
田舎は他に尺度がないんですね、もちろん、それが悪かというと議論の余地はあるでしょうが、考えて欲しいのはそれでも尺度は増やし続けて欲しいってことです。
他に尺度がないと衰退します。現状維持と近いからですね。一番新しく進歩する方法は、何かを測る尺度を増やしていくこと。
これができたら凄いとか偉いとかじゃなく、新しい何かを増やし続けていくこと。
他人の尺度で生きるなということ。
向き不向きを見つけて「向き」で生きないと仕方が無いんです。
貧乏になったから不幸なのか?
物価が下がればお金が減っても生活水準が変わらないから、物価が下がる時代になれば貧困層も救われるようになってきます。
僕らが危機感を感じなきゃいけないのはどこにあるかを考えたときに、二極化を考えたときに貧乏になるか金持ちになるかって考えたときに、貧乏が問題ないなら幸福感の湧く泉はどこにあるかを考えたときに、
やっぱり「充実感」「価値を生んでいる感覚」とかそういうものは大事なんです。
すごい金持ちで充実感0の人
貧乏だけど充実感もの凄いある人
これ、死ぬときに貧乏な方がたぶん幸せになりますよね。一分一秒でも充実感を感じている人が勝ち組になれますよ。
生きてて楽しいかどうか。「金があるかどうか」は尺度として幸福度とは多分別物です。
1晩で100万円とか使ったとして、人間としての充実感とかに関係してる活動なのかどうかを考えると、ちょっと違うかもしれないのは分かるかもしれません。
お金や貨幣を信用しすぎないこと
それをどれだけ信用するかって状態
お金が自分の人生を豊かにするとは信じ切れないんです。むしろお金からは何も感じない。
じゃあ何が自分の人生とか充足感を満たすのかって考えると
価値を生み出してる感覚
それが生きた証になります。
存在価値を証明する何かを生み出している時をどれだけ増やせるか。
感動している瞬間と言い換えてもいいかもしれません。自分にとっては充足感がはっきりと得られるものを見つけてそこに投資すること。
仮にお金が大事だ!って思ってるとお金のシステムが壊れたときに生きる目的を見失う
自分が価値を生み出すことにフォーカスすると、お金システムがあったらあったでよし、なくなったら価値を生めるから良しと頭を切り替えることができる。
隣の芝は青いのか?
「隣の芝は青い」みたいなもんで、誰かが土地とか株を買いましたとなり、上がりましたとなると、そうなると買わなかったときにより損をしたような気になるはずです。
でも、自分の価値を上げるのは時間がかかることです。買った誰か判断を磨いていたから買えたのかもしれない。
その時間を経ずして隣のあいつはあんなに金を儲けてると、
それはもう頑張れとしかいいようがない
他人と比較して差分でしか反応できないから隣の奴との比較によって幸不幸快不快を判断するバイアスがあるんですね。
勉強することでバイアスを自覚してください。
「これはバイアスだ」と。
理性的な部分を強くすることでバイアスに振り回されにくくなるはずです。普通の人はそういうことができないから人間くさいんです。
でも、振り回されることを前提に人生をデザインする方が現実的ではありませんか?
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