クライアントとのレベルの差によるコンサルの胡散臭さ
専門家だからコンサルタントになるわけだけど、コンサルを受けると想定していたより重要な部分がすっぽり抜けていることがある。
生活習慣病で肥満になったとして、脂肪だけ吸い取っても意味が無いように、対処は表面だけやっても意味がない。
で、例えばコンサルタントはその分野に対して100の理解があるとする。客観的に見てクライアントは80くらいのアドバイスを欲しがっていることは分かるんだけど、クライアントの理解が10だとしたら、11から入らないと効果が無い。
でも、それを第三者が見ると「あのコンサルタント大したこと言ってないよね…」という理解になりがち。
結果的に大したものが提供されていない→胡散臭いという評価になるけど、実際に受けた人があれはだめだった、と言うのなら分かる。でも、受けていないタイミングでダメなんだと判断するのは傲慢というものだと思う。
なので、僕自身も何かを購入したり、実際に見るまでは判断を保留にするようにしている。
それが誠実であることだと(なんとなくだけど)思っているから。
マーケティング勝ちパターンの車輪の再発明の防止
デジタルのマーケティングの世界には、ある程度の「勝ちパターン」が存在している。もちろん、その勝ちパターンは誰かに聞いたり、誰かの知見を読まないとと知ることができないわけで、ブログとかにそこまで本質的な事を書いてくれる人はまずいないし、まあほぼ本質的な事を書いてくれている人は見かけない。
そして、環境・持っているスキル・その人の魅力・知識などなどから総合的にビジネスを考えていきたいところではあるんだけど、それらを考えないとビジネスは上手くいかない。
仕事の本質は作業なので、ビジネスの中心に苦手な作業が据えられていると、続けるのが嫌になり、強みを発揮できないから勝てず、成長欲求も失われていく。
なぜ師匠的な人を付けるのが大事なのか。
亀仙人、海王様。
師匠がついていることの効果は、「自分では理解できないことにチャレンジできること」だと思う。
実は、自分が理解できることだけをやっているうちは、手を動かしているだけだったりする。頭だけ高速回転で動いていると考えてもらってもいいかもしれない。
もちろん自分でしっかりと前に進める人もいるけれど、膨大なシュミレーション。
何が言いたいかというと、前には一歩も進んでいない、ということがミソだ。
前に進めば理解できないものが大量に現れる。それは新しい生き物かもしれないし、看板かもしれないし、道かもしれないし、動けば動くほど理解できないものが現れる。
でも、頭の中から理解できないものがポン!と産まれてくることはほとんどない。
この辺りのロジックはくどくど説明しなくても、なんとなく共感してもらえるんじゃないかと僕は思っている。
コンサルタントは必要なのか不要なのか
結局「そもそも論」に戻ってしまうけど、必要な人にはコンサルや指導業、コーチや講師と呼ばれる人達が100%必要で、不要な人には1%も不要なものなんだと思う。
本来的に名前が違うだけで、何か人間は必ず他人から何かを学んでる。そういった「呼び名」や「職業」を軽視しているだけで、人は必ずやどこかから学んでいるので、それを忘れない姿勢の方がよっぽど大事なんだと僕は思う。
完全に自分だけで何かができる、と言ってしまっている人は
嘘つきか、ただ勘違いをしているか、のどちらかだと思う。
何かを学ぶのは決してコンサルである必要は無い。それは言うまでもない話だと思う。
隣に住んでいる人でも良いし、おじいちゃんでも良いし、別の分野のプロに学んだっていい。
でも、
自分に必要がないのと、この世に必要が無いか
は全く次元の違う話なのだ。
結局、手垢のついた表現にはなってしまうけど、「満足したらそこで成長が止まる」というのは真理で、人間の能力の差なんてある程度の所までは、どれだけ上を向いていたか、向き続けていたかに尽きるんだと思う。
高校の時にスポーツで結果が出ていなくても、40まで続けていたおっさんと、高校で辞めた優秀な人。40歳の時点でもう一度戦ったとしたら、結果が出るのは40まで続けていた人になるはず。
それは「どれくらい長い間上を向き続けていたか」に尽きるんだなあ…と考えるに至った一つの例でもある。
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