「それができたら苦労しないよ」「それができれば苦労しない」と言ってしまっている人を見かけたので、ちょっと記事を書いてみることにしました。
今日の記事は、
「全て自分の責任で考えなさい」
「なんでも思えば叶います」
というような、上から目線のお説教というよりは、それができたら苦労しない、は現実に何の意味ももたらさないと僕は考えてるんですって個人的な考えの共有だと思ってください。
でも「それができたら苦労しないと言うのは今日から辞めましょう!」と言うことも無意味だと思います。
じゃあどうすれば良いのか、って部分を現実的(とはいってもいつものように回りくどく抽象的に)に書いてみたいと思います。
それができたら苦労しないの言葉の裏側
そもそも「それができたら苦労しない」という言葉の裏には、
「本来は苦労をせずに楽にできるはず」
「恐らく他人は楽にそれをやっているが、現に俺・私はできない」
という隠れた前提がありますね。今現状「できなくて」「苦労」しているし、「比較対象の人とくらべて俺・私はそれができない(できていない)」わけですから。
でも、まずはじめに、誰しも楽してその結果や、その行動の成果を実現できているわけではない、という部分に気が付くべきなんじゃないかなと僕は思うのです。
前にこんな記事を書きました。他人の頭の良さに何かを突っ込んでいるうちは何にも理解していないよ、という記事です。
※この記事を読み終わったらぜひ読んでみてください。
自分の本当の理想がわからない、やりたい仕事がない・見つからない人へ
で、ここからもうちょっと思考を深めていきましょう。
考えてみて欲しいのは、簡単と楽は全く異なる次元ってことです。
イチローは簡単にヒットを連発しているでしょうが、決して「楽」をしているわけではないはずですよね。誰よりも苦しみ、苦労したからこそ、結果的に簡単にヒットを連発できるようになった。
でも、「ああ、ヒットって楽だなあ」「ホームランって楽だ」と思ったことは一度も無いはずなんです。(たぶんですけど)
野球をやっていることは楽しいかもしれないし、周りからみたら簡単にヒットを打っているように見えるかもしれない。
でもそれは「楽」な道だったんですか?ということをここでは問題としてあげてみたいんですね。
それができたら苦労しないと常に口走っている人は、軽自動車で200kmを出そうとしてます。軽自動車から乗り換えようともしない。帰ったら車のことを忘れ、ずーっとゴロゴロしてるんです。
あ、もちろん軽自動車が悪だって言っているんじゃないですよ。物事には向き不向きがありますから。
でも、なんらかの「それができたら」を得るために活動しているのだとしたら、軽自動車に乗りっぱなしで、軽自動車の文句を言っていてはいかんのじゃないかな、と僕は思うのです。
イチローみたいな人(凡人から見たら簡単に何かをやっていそうな人)はスポーツカーを帰ってから必死に組み上げ、日々デザインや、燃料や、空力や、快適な内装、タイヤ、ホイールを研究しているのだと思ってます。
それによって結果的に、軽く踏み込むだけで200kmが簡単に出るようになり、ハンドル操作も素早く丁寧で、ブレーキングも鮮やかで強力な領域に到達できる(できた)んだと。
※もちろんここまでの話はメタファーですので、各自お好きな分野に置き換えて考えてみてくださいませ。
で、
もし「それができたら苦労しないよ」と言いそうになったら、「僕・私は帰ってから何かを組み上げようとしているんだっけ」「どれくらい研究開発してたんだっけ」と考えてみてください。
「頑張る」とはアクセルをレースで踏み込むことじゃありません。家に帰ってからもスポーツカーの空力やデザインやエンジンを研究しているのだろうか、と考えてみると良いのではないでしょうか。
あの人はアクセルを軽く踏んでいそうに見えても、気が付いたら遙か先にいる。
こちらは全開でアクセルを開けても全く追いつかない。
それは、アクセルを踏むレースの時間以外の部分に差があるんだ、と。
言うまでもなく人間は取り替えられないんですから、「マシンを乗り換える」と考えてみてはどうでしょう。
「マシン」は自分で勉強して組み替えることもできますし、今のマシンにちょっと手を加えることもできるし、買ってみることもできるし、人を喜ばせてお古のマシンを譲ってもらうことだってできるはずです。
そうすれば、一歩未来に近づくと思います。
抽象的になりましたが、どんな分野でも応用が利くように書いてみました。
今日は以上。
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