人間は判断の集合体なので、人生がしんどいときは悪い判断を積み重ねてしまっているからって可能性が考えられる。
例えば、白しかダメ!黒しかだめ!みたいな主張って考えを深めることを停止してるのかと。「どっちか分からない状態」でないと、もう判断が深まることはないですよね。例えば「白こそ正しいのだ!」って結論ありきで深めたら、黒に隠れている何かに気がつけないわけなので。
「グレーの時間」が重要だと思います。で、できる限り正しい選択を自分の中に積み重ねていく。
判断力を上げる方法3つ
学習能力と記憶力の向上
スムーズに頭の引き出しに物事を突っ込む力を高める。もしくは、頭の引き出しを高速でDIYする力を高めていくこと。
記憶のストックを増やす
引き出しの総量を増やすこと。図書館並みの大きく大量の引き出しを作っていく活動
抽象化する能力を上げる
引き出しをくっつけたり引き出しの中身を整理する力を高める。
現在の判断が未来を作る
つまり、現状の失敗は過去の判断の失敗。運が良い人は過去の判断が優れていた、とも言い換えができると僕は考えている。
あと一つ勘違いされがちなのが、実は、聞くことと否定することと取り入れることは全部別。聞けない人は自分目線から見てそれが間違っているという判断しかできません。「あなたの目線から見たらそれは正しいね」が言えない人が判断が鈍っていく。ある種の理解をした上で、反対の表明は大事です。それを取り入れる・肯定するかどうかは別だから。
肯定しなくても良いし、取り入れなくても良いから、とにかく理解しようとすること。なぜ相手がそれを選択したのかを考え続けること。
教育は可能性を広げることであり、洗脳は可能性を削り取ることです
本当にその言葉が誰かの可能性を奪っていないかを充分に考えてみましょう。
人間の認識には三種類あります
簡単
難しい
不可能
文字通り簡単なことは指示する必要が無いわけです
不可能なことは文字通り教える意味がないわけですね
難しいの領域の作業をすることで人は成長すると言われたりしますね
そして、難しいことを選択させないこと、つまり絶対に何かをやれと言うことや、何かを辞めろということは、相手の可能性をじわじわと削り取っているんです
それが悪意でやっているとは思わないし善意だとは思うので方向性の違いだと思います。それがどっちが正しいかなんて決められないので、自分の信じる道を行くしかないかと。
その上で
「あれがいい、これをやりなさい、もっとこういう行動をしなさい、これは辞めなさい」
全部指示することは何をしているかというと
難しいの領域にいたその人を「簡単の領域」に持っていったりとかあるいは「できないから辞めた方がいい!」っていって不可能の領域に持っていったりしてます
成長の余地がどんどんなくなっていくんですね。
他の方法で例えるとするなら、
世界が10人だったとします。1人親友、8人他人、1人敵だったとしましょう。で、フィルターが強すぎると1人しか見えなくて世界はなんて良い場所となります。これは見方としては正しくはないですよね。すごく幸せなことですけど。
8人しか見えないと世界は無関心で冷たい場所だなあという印象を持ちますね。敵1人しか見えないと、「あいつはだめこいつはだめ」「もっとこうしないとだめ」ってずっと言ってたりします。とにかく居心地が悪いから変えようとするんです。
これが人間の持ってるフィルターです。まず認識がおかしくなりますよね。でもっと最悪なのが、フィルターは「自分の動きさえ歪めてみせる」んです。痴漢をする人が「誘っていたからだ」と言ったり、パワハラをしておいて「お前のためを思って」と言ったりすることがそれです。認識も自分の行動すらも歪めてみせるんです。
何かが分からないのって決定的に自分がずれている可能性が常にあるんですよね。あの人ならどう考えるかなを合い言葉にしていれば、独善に陥ることはありません。
正しく素早い経営判断には判断軸・基準が必要
経営判断に迷うのは、判断の軸が無いからです。一本の軸。
判断軸・判断基準を持つこと
他人がどう考えているか・どうしたいのかを本当に分かることは相当困難
だからこそ自分が何が重要かを見つけて経営判断すること
作業が楽しいことを優先するという軸
お金が稼げない・稼げるよりも楽しいってを優先する軸。
家族を大事にするという軸。
まず楽しいことを見つけて、見つかったらそれをやるという軸。
夢を追いかけるという軸。
まずは稼いで生き残ることを優先する軸。
そして、その軸を丁寧に共有する。
基準がしっかり共有されていれば、メンバーが「良かれ」と思って行動したものが、全て事業にとってプラスに働いていくようになります。
さて、軸が共有できたら何をするのか。その軸が本当に正しいのかを調整して見極めていくことが必要になります。
もちろん、誰が真実を語っているのかを判断するのは、自分です。
Google様ですら嘘をついているかもしれない、と。
「○○さんが言ってることは真実だ」程危険な判断基準もありません。
ので、その点だけ、よくよくご理解くださ。
軸は移り変わるんです。
自分たちの軸を世間の軸と調整していく必要がある
そうしないとただの独善になってしまうかもしれません。研究室で延々役に立たない商品を開発していってしまうことになるかもしれない。
札束でお風呂入っていても、全然称賛されないです。むしろ恰好悪い。
そういうのに合わせて、人間の欲しいの基準に狙いを定めれば、みんなそこを欲しがるようになるっていう話です。
まずはとにかくお金を稼ぐという基準もあるので、両立させて2つ同時に回すのがおすすめ
個人でやる分にはお金という軸と楽しさを2つ同時に回すことが大事です。食えなくなりますし生活できなくなりますから。
お金をがない→稼げればある程度楽しくはなってくる
ただしその先がないってだけ。
まずはお金を稼ぎながら、楽しいものを複合的にくっつけていく。そうすると、段々と成長意欲がくっついてきて、仕事時代も面白くなっていきます。
とにかく稼ぐことをゲームのようにおいかけていくというやり方もありますし、これが向いている人もいますけど、幸福度的な意味合いではそんなに上がらないことが分かっているので僕はオススメしませんね。
判断基準は自分の中にしかない
価値観がズレてくる 誰かにすり込まれてるんです。
就職活動とか なんで?って話ですよ。
判断の枠組を奪われてその中でわちゃわちゃやってたりします。価値観=俺はこう思うって基準のことですが、自分の価値観は自分のためだし自分の物であるはずなのに、中心に自分がいないんです。
世間と完全に切り離されたら判断基準はなくなりますし、ただの机上の空論になって言ってしまいますが、でも自分の軸に常に揺り戻さないとだめです。
僕のブログなんて役に立たないと思ってもらっても、それはそれで構わないのです。
その人の中に、なにかしらの判断基準ができれば、それでいい、僕はそう思っています。
人生に失敗した・詰んだと思うなら金の使い方と判断を治せ
人生に失敗したと思ってしまうのは判断の失敗
判断が積み重なって今の人生をつくる。あの時OOさんに告白しておけば、みたいな大きなものから、毎日ポテトを食べなければ…みたいな食事の判断、お酒をどれくらい飲んできたかみたいな嗜好品などなど、細かい判断が積み重なって今の人生を作ってる。
お金の使い方、時間の使い方、機会の使い方などなど。
人生失敗したなと思ってしまうのは、大抵判断が悪かったということ。
金は環境作りに使え
多くの場合「金の使い方」が得る金を超えてると人生が変な方向にスライドしはじめる。借金を抱えすぎたり、金を得るために金を使わなかったり。
本当は何も得られないことに金を使ってしまう。
一番間違えちゃいけない判断はここ。何かが残る判断だったかということ。
判断・選択がおかしいと結果がおかしくなる
コミュ障が周りにばれるのが怖くて、コミュニケーションを取らないからもっとコミュニケーションができなくなっていくとか。家で音読してたって良いし、話し方練習帳みたいなもので何度も練習したって良い。
お金が無いならしかるべき機関に助けを求めたり、勉強したりすればいい。
でもただ避けるって判断を取ってしまうと結果は望まない方に進んでいってしまう。悪循環に陥る。
一度悪循環に陥ると思考が鈍ってくるので、改善しようとした行動がより悪い行動を引っ張ってきたりする。
現在の失敗は過去の判断や選択の失敗ということを何度でもたたき込んでおくこと。
人と絶縁状態になるのはどちらも判断・選択を変えないから
一つの例だけど、あなたの周りやあなた自身、「相当に仲が悪くなってしまった関係の人」を思い出して欲しい
どっちも態度を変えなかったことがかなり大きな問題にあるはず
もちろん、あまりにも片方に問題がある場合(倫理的に問題のあること)をしたならそれは論外だけど。
喧嘩から仲違いした場合などは「お互いに接し方を変えなかった」ってことが大きな原因の一つとしてあるはず。
お互いに悪い判断を取り続けると最終的に悪いところの終着点に到達する
どちらかが良い判断を取った、例えば謝ったとか、感謝を伝えたかとかすると問題なくなるはず
つまり、「最悪な判断の総和」が最悪の結果を招く。
どれくらい悪い判断をしてきたかが、どれくらい悪い結果を導くかをシンプルに規定する。
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