精神論の重要性とまではいかないけど、なぜ成功者とかが精神論ばっかりになってくるのか、今日はそのあたりをちょっと考えてみようかなと思います。
精神論が活きるのって具体が元々ある人と、あとは精神論を聞いて具体に分解できる人。そうじゃない人に精神論をぶつけることは本当になんの効力も発揮しないのかもなと最近考えていまして。
個別の理由や事象で留めるんじゃなくて、一般法則っぽいレベルまで抽象化をするとあらゆることに活かせる。
OOって店のOOカレーには醤油を31.32ml入れると美味しい、だとほぼ何にも活かせないけど、カレーには大抵ラッシーが合うだと活かせる範囲が増え、お腹がすくことがスパイスなんだみたいな精神論は何食っても活きてくる。
ちなみに精神論って具体的な法則から展開することに意味があるので、精神論しかないとただの机上の空論になる。言う側はできる限り実例と精神論はブレンドさせないといけません。
そして、精神論の効力は現実に何をやっているかで大きく変わります。
副業で1円も稼いだことがない人の精神論と、副業で月2000万円くらい稼いでいる人の精神論。世界の経営者TOP20に選ばれたCEOの精神論と、まだ仕事をしたことがない人の精神論。
どちらが具体に分解しやすいかを考えると多分前者ですよね。もちろんハロー効果的なものはあるんですが、似たようなことを言っていてもその言葉の重みが全く違う気がするんです。なぜだかはまだ分析ができていないのですが。
ブランドイメージを抜きにしても、情報の密度がなんとなく高いような気がするんですよ。
精神論は醤油。具体例は刺身。醤油だけ飲む人はいないし、具体例だけだとマニュアルチックになっていって食べにくかったりして、そのまま無視されたり、相手の深い部分にはストンと落ちなかったりする。
手をチョコチョコ動かしていても頭が動いていなかったら仕方がないですから。
で、根性論の差は大きいと僕は考えています。
気持ちや気合いには問題を押し込むな
気持ちに原因を突っ込むとブラックボックス化する。実のところ、問題ってほとんどが体力、技術、環境のどこかにあって、気持ちなんてもののせいにしてたら一生問題は解決しないんだろうなあ。問題のすり替え。
解釈は色々あると思うけど、捉え方を再定義しようとするのが精神論で、気持ちや気合いに問題を押し込もうとするのが根性論だと思う。
いやもちろん、当たり前の根性はないと結果はでないんだけど、それが全てになると問題のすり替えにしかならないし、何も理解できたことにはならない。
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