敬語を使わないんじゃなく、使えない。
あえて使わない人は分かります。文章でも、話していても、敬語とため口が適度にミックスされていて距離感が上手い人が多いですから。
ただ全く使えない人がいて、そういう人は「友達」ではなく他人を機械か何かだと勘違いしている。「自分を客観視する能力が欠けているんじゃないか」とは思うんですね。
赤の他人にやってしまう人はちょっとどうかなと。
もちろん全てを敬語にしろとは思いませんし、それが悪いことだとは言いません。絶妙にフランクな態度で、不快さ0で踏み込んで来る人っていますしね。
で、もっと驚いたのがその勢いで中傷メールをもらったことです。多分、「このくらいは悪ではない」って判断してるし、それを信じてるんですよね。
そして、怒っている人は怒りたいから怒る。
僕は誹謗中傷に対する反撃wはしますが、基本的に先手攻撃をすることはありません。だって得しないですから。単純に醜悪です。
店員に横領な態度をする客
別にへりくだる必要はありません。対等で良いんです。でも、丁寧語を使う、とかは人として当然の範疇じゃないかと思うんですよ。無邪気な子供じゃないんだから。
妙に横柄な態度を取る客がいますけど、最悪ですよ、ああいうのは。客以前に人間としての問題です。人間としてクビ。人間として出禁です。店の品質ごと落とす。
そういう人って、ブレーキが壊れるんじゃなくて育まれなかったんです。子供は嘘をつきますね。そうすると親に怒られます。だから単純な問題はそこには無くて、
ブレーキがないまま大人になったらやばい
ってことです。ブレーキを手に入れていく経験が希薄なんです。ブレーキがあるからこそ見える景色があります。300kmで延々走っているのか、20kmになったり、50kmになったり。そうしないと目が見開かれないんです。世界が見えないんです。ただ単にざーっと景色が流れているだけ。
あと、どうしても辛いことがあったり、ブレーキが故障すること自体は仕方がないんです。でも、修理しようとしないことが問題。
同じ権利を侵害されて怒る人、怒らない人がいます。それは分からないので仕方ない。なので、本当の問題は侵害することではなく、侵害してしまった時の相手の反応の機微に気がつけないことだと思います。
過去にこんな記事を書きました。これと近いものがあるかもしれません。
そういうお客さんほど何かを当たり前のように求める
で、更に驚いたのが、そういうお客さんほど当たり前に何かを教わろうとすること。僕が教えるのは「好意」か「仕事」でしかないので、最低限信頼を獲得しようとしましょうよって話です。
お店に良いサービスが受けたくて店員さんに気持ちよく接しているお客と、横柄な態度で何かを奪い取ろうとするお客のどちらが最終的に気持ちよく接して貰えますかねえ。
僕らはお客である前に人ですから、その辺りを忘れちゃいかんのですよ。
誹謗中傷する人に対しての対応
「言葉を選んでいる」なら何かを伝えようとしてくれているので取り入れてます。選んでいない誹謗中傷は「視界から削除」する。うるせえと。お前に何が変えられるんだと。w
お客さんの意見以外は基本どうでも良いってスタンスです。丁寧に伝えてきてくれるなら聞いてみるってくらいで。
思いやりのある批判は受け取らないと自分が損をしますし。ありがとうございますとなるべく受け取ります。筋が通っていればね。
ただ、たまに敬意のない批判や、あれ?人間どころかお猿さんが間違えてキーボード打っちゃったの?と感じるような怪文書が届くことがあるので、(2000人に一人くらいのレアケース)数人のお猿の皆さんに向けてのブログです。
受け取る必要の無い誹謗中傷をどうやって無視するか
1,賢いお猿だと思う(動物ルールで生きているので先制攻撃してくる)
2.蜂だと思う(蜂に刺されたら痛いけど、蜂の習性なので仕方ないか…と思えて頭にこない)
比較的賢い動物か、クマバチのような生活しかできない人なんだと思えば、攻撃されてもそんなに気にならなくなってくるはずです。攻撃してくる人を「理性的な人間の土俵」で考えないこと。攻撃する人は人の話を聞く耳がないので、賢い動物くらいに思っておいた方が良いです。んー、いや、動物や昆虫に失礼。原生生物にしておきましょう。
欠乏から来る欲求は外部依存です。外に解決策と原因を求めるからですね。自分に原因と解決策を求めると自己実現欲求に近づきます。(マズロー)
何でも人のせいにする人は「基本的欲求」が満たされていないんですね、何でもかんでも自分のせいにしている人(ポジティブな意味で)は恐らく自己実現の段階にさしかかっている人です。もちろんいきなり誹謗中傷する人は前者。
多分、普通に生きているとこんな人に出会えないんですよ。でもネットでは距離という概念が消滅するので、普通に「そういう人」に出会う可能性が上がります。そういう人に出会ったらミュートしましょう。すぐにメールをゴミ箱に転送設定しましょう。
僕はこういう人の言葉はゴミを掃き出しているんだと思っています。ゴミ吐き出し理論。本来ゴミ箱に入れるか自分で燃やすかしているところ、ゴミを押しつけて帰るんですよね。だからモヤモヤする。
年をとると丸まる人と年をとると怒るようになる人
年とると丸まるのはなぜかって哲学者の人が書いてたんだけど、「怒らず話を聞いてもらえる”状況判断の正しさ”が周りに蓄積されていくから」なんだと。つまり、怒りというオーバーエネルギーがなくても言葉が届くようになる。「怒ってないと話を聞いてもらえないおっさん」は状況判断の蓄積が正しくないそう。
怒りたいから怒るってアドラーが書いてる。バスでキレる人や、誹謗中傷する人は、言葉自体に自信が無いことに無意識下では気が付いているんだと思う。
だからピンポン球みたいな質量の言葉の中に爆薬を仕込んだりして、爪跡を残そうとするんだけど、爆薬入りのぺらいメッセージから相手は逃げる
怒らないと話を聞いてもらえないバスのおっさんはそもそも状況判断がおかしい。だから感情をむき出しにしないと誰も言葉に気を止めなくなってしまう。ある人の言葉には数十万人以上の人がお金を払うけど、ある人の言葉はイヤホンで耳を塞ぐ。だから黙るべき所では黙る必要がある。
それでもどうしてもどうしても自分の正しさを認めてもらおうとする場合のみ怒るしかない、その捨て身の構えが周囲の注目を獲得出来るらしい。その時に「中々良いこと言うなあ」となれば今後も聞き届けられ、「しょーもないなあ」となれば延々に届かなくなる。
重要なのはメッセージの伝達率と再現率
一番大事なのは届けようとしたメッセージがどれだけ相手に届くかってことだけ。
”届けたくない”ものが届いても失敗だし、”届けたい”ものが届かなくても文章は失敗になる。
これが届く度合は”根拠と安心感”のかけ算で決まると文章の世界では言われていて、かけ算ってことはつまり片方の項が0だと結果は0
本当に価値がある言葉なら向こうからわらわらと大勢が取りに来るし、最低限の重みがあれば持って帰ってくれる
磨く&中身詰める
これをサボってるから爆発でかけらを届けようとするんでしょ
爆発現場に飛び込みたい人は物好き以外いないし、火薬入りの言葉を喜んで家まで持って帰りたい人はいないよ
バス動画みたいなどれだけ騒いでも全く言葉が入っていかない人もいれば、ぼそっと言った一言でもスパーンと本質を突いてくる人がいる。
やたら騒ぐとか言葉を強くするみたいな「形式」を重要視する人、たぶんその姿勢が既にズレてるので、そのままじゃ一生本質みたいなものって突けない気がする
メッセージは質量を増やして届けることが大事
本来ピンポン球の中身を詰めてゴルフボールにしたり、ビリヤードの球にしたり野球の硬球にしないといかん。質量のあるメッセージにして鈍く届けたい。でもピンポン球育成をサボると、ちょっと爪跡くらいはのこしたいぜ、となり、火薬を仕込み、言葉が強くなっていくんだな。そうすると最後は逃げられる
もちろん、言葉が強くなれば必ず周囲からの反応も強くなります。好意的な反応も、批判的な反応も強くなります。ですが、最後はどちらが正しかったのか、市場が判断するんです。僕やその誹謗中傷する人が勝ち負けを判断するのではなく、市場が遠回しに判断する。
怒ったり、わめいたり、がなったり、キレたり。これって自分の弱さを担保にして発言しているわけだけど、これはギリギリのワンチャンスだということをわきまえないといかん。ここでしくじるともっとぐずらないと話を聞いてもらえなくなり、そこには一切の敬意がなくなり、「まーたはじまったぜ」になる
ただ、言いたいことすら言えないなんて、単純に面白くない。「言うこと」を止めることはできません。黙れ!ということもできない。だからこそ、自分の主張を鋭く研ぎ続けながら、広く展開し続けるしかないんですね。で、ここで話しているのは主張を鋭く研ぎ続けていない人の事です。
必ずそれを読む、聞く人がいることを忘れないこと。必要の無い場合にわざわざ名指ししないこと。
もちろん、僕のメッセージが多くの人にとって間違いの可能性がある。その時はできる限り丁寧に論理を展開し、愛を持ってメッセージを更新し続けること。今日はそんな感じです。
コメント