労働と仕事の差。あと仕事の無駄について。
成長したいxプライベートを重視したい
ある程度のお金が欲しいx楽であればお金は少なくても良い
ごちゃ混ぜにするから話がおかしくなるのかもと思った話です。
労働をしたいのか
仕事をしたいのか
は人によって価値観がかなり異なる気がしてます。
「自己成長」が第一義なのか、「お給料」なのか、「プライベート」や「休み」なのかによって取るポジションがかなり変わってくるような。
良し悪しではなく選択の問題ですが、価値観を押しつけがちな人ほど、良し悪しに押し込めようとしますよね。自省をこめて書いてますが。
成長したいと考えて良い企業に入っても、成長なんて抽象的なものだから、得たい能力が身についているとも限らない。
ある程度のお金だけ欲しいと思って企業に入っても、結果的に異様に成長してしまっている可能性もあるわけです。
だからこそ、自分のポジションから他のポジションを見るのではなく、視点を自由に動かし、別の価値観にも想いを馳せられるようになりたいものです。
自己成長について、よく例えられますけど、隣の芝生は青いと思ったら、意外と地続きで変わらなかったみたいな話と同じで、
「思ってたのと違う」という感想は必ず生まれるわけです。
俺にはこの仕事は簡単すぎる
とか
こんなのバイトでもいいし、誰でも出来る
とか
休みも寝る時間もなくてきつすぎる
とか
結果的に、好きな仕事のはずなのに嫌いになっちゃった
とか。
原因はいくつかあるんだと考えてますが、
「仕事にすると他からの要求が生まれる・増える」
ことが一番大きいのではないかと。
「簡単、誰でもできる、きつすぎる」
原因は全て他人からの要求であるからではないでしょうか。
仕事になるまでは他からの要求がない。
趣味であれば好き勝手できますよね。
エクセルを何日触っていようが、
どんなに難しいVBAを組もうが何も言われない。
だけど、
「エクセルばっかり触るな!」
とか、
「そんなに難しいと回りが理解できないから紙でやろう」
こんなことを言われるわけです。笑
自分(自分の作業)の中に「他人に合わせる余地」が必要になると言い換えても良いでしょうか。
つまり、
自分の要求と能力に沿って動く分には簡単なんです。あと、それが最も効率が良い。
他人の要求に沿おうとすると、コミュニケーションコストや管理コストが発生します。
1人で仕事をやる分には仕事の本質だけに集中できますが、それが人数が増えるにつれ、伝達ロスが生まれる。
ミスや言い間違いのことを言っているわけではなく、情報量ロスのことです。
100考えたことを100丁寧に伝えようとしたら、専門用語を多用した異様に長い文章か、分かりやすい丁寧な文章を書かないといけなくなる。文章ではなく、言葉でも性質は同じです。
==
考えていること:もうちょっと読みやすくならないかな
丁寧に伝える指示の例:フォントをOOpx大きくして、OOpxオプティカルで字詰めして、widthはOOpxあけて、heightはOOpxあけ、フォントのカラーコードは#??????、フォントは游明朝で太さはB
を
考えていること:もうちょっと読みやすくならないかな
ざっくりした指示の例:ちょっと調整しといて
でもいいわけです。丁寧な方はネタです。笑
伝える側はどちらも選択できます。
==
ただ、丁寧な指示をすることで時間がかかります。イコール時間のロス。
しかし、丁寧に指示しないと、情報量のロス。
残念ながら、トレードオフという概念が発動してしまう。
どちらも両立させることは難しい。
だからこそ、相手を「信じ」て、伝える側が楽なコミュニケーションが頻繁に行われる。結果的に情報量のロスが生まれます。
会社には「無駄が多い」なんて言われてますが、伝達する母数が大きければ大きいほど、無駄ばっかりになってくる。
規模や人数の横方向だけではなく、時間軸方向にも伝達する母数が増えたりするわけです。過去のデータを全部取っておくとか、未来のために細かく記録しておくとか。
だんだん過剰になってくると、無駄な工程を無駄な人員で管理するようになってきたりもするわけですね。
だからこそ、仲介点が少なければ、無駄が起きにくい。
仕事の本質ってなんだろう、営業について
どんな会社であれ、おおよそやることは同じで、
商品作り
売場作り
営業
制作
納品・アフターフォロー・クレーム処理
が仕事の本質だと僕は考えてます。
※読んでいるあなたの業種にあてはめて考えてみてください。
なので、この5種だけ極めれば、副業であれ、本業であれ、稼ぐことは難しくないと思ってますよ。
一番大きなファクターを占めるのが
営業
なのは、よく言われることですよね。
なぜ営業が一番重要なのか。
お客さんが商品を捉えるときの認識価値は往々にして、
実際の商品価値より低く見積もられています。
知らないものは価値0、物理的にも精神的にも、
自分に近づくほど価値は上がるんです。
どこかに落ちている半端なく綺麗な石より、自分の子供が自分のために拾ってきてくれた、普通の石の方が圧倒的に感じる価値が高くなる。
これが、自分に近付くものほど価値が高いという一つの例です。
だからこそ、「認識の価値」を「実物の価値」に近づけることが営業です。
※実物の価値を認識の価値が越すことを「詐欺」といいます。
売ったら100円にしかならない梅干しの壺があったとします。
それを
「あの教祖さまが力を込めました」
なんて言うと、何百倍にもなったりするわけですね笑
結構笑えますけど、ほんと笑い事ではないです。
こうやって回っているのが経済であり、価値を近づけ、高める活動がマーケティングなんです。
話がぶれました。
つまり、営業さえ極めてしまえば、どんなに価値のない商品でも売ることができてしまう。
「もっと売るために、営業力を付けよう」
ではなく、
「営業力さえあれば、もはやどうとでもなってしまう」
という方が考え方としては正しいかもしれません。
営業力を鍛えましょうとか言われる所以はこういう所にあると僕は思いますよ。
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