余裕がなくなってるサインは「不合理」が許容できなくなること。
「不合理」を許容するためには何らかのバッファがないとだめで、
バッファがなくなると、不合理を許容できなくなっていきます
「バッファ」は人間の器とか言ったりもするし、サーバーの性能とか、貯金もそうだし、車のサスペンションとかも仕組みがそうなってますね
貯金がなければ急な支出には耐えられないし、
サスペンションがなければ段差には耐えられないし、
性能に余裕がなければシステムやパソコンはすぐにダウンしますね。
他人の不合理を許せないときは、自分の「余裕の幅」の問題だと気が付けば、比較的すぐに回復できます。
他人の不合理がキツいのは「他人がダメだから」だと思うと永遠に問題は解決しないし、永遠に問題と戦い続けることになる。
永遠に戦い続けると倒れます。必ず。
つまり単に、自分に余裕の幅がないから。サスペンション力を付けよう。
「サスペンションを壊そうとする人」からは離れる。
と考えれば、人生の基準はシンプルになる。これはもう仕方がないことだと思います。だってこちらでは相手を変えることはできないから。
ダメ人間だって認められたい
どんなにダメ人間でも認められたいって思ってるのが人間。
必ず自分自身のダメな部分には気が付いているはず。見えなくしていたりするだけで。
だから、目の前の人のダメさを許容しないと苦しくなってくる。
常に自己矛盾を起こすから。
他人のダメさを許容できない人はずっと苦しいよ。
環境によって評価なんて全然違うものになる
環境によって全然自分の評価は変わります。評価とは相対的なものですから。
絶対的に正しい自己や変わらない結果
なんてものがあると思ってるとドツボにはまる
あなたの行動は闇雲なのか?
もしいま色々な行動に手を出して闇雲感があるなと感じているなら、考えてみて欲しいことがあります。
あやふやな目標を立てた後近づきながら具体化していっています。一歩足を出してやばそうなら引っ込める を繰り返すんです。それが暗闇に見えてしまうものなのです。
でも実は、よりはっきりしてるだけ
抽象的なところから具体化する作業で変わることが、周りからみると闇雲に見えるから。
まとめ。
余裕とはサスペンションのことなんだと思う
車にサスペンション無かったら走れたものじゃないし
ロードバイクとかはレースパンツはいたりサドルを変えたりして工夫する
貯金もその意味ではダメージに対してのサスペンションと言える
言葉もそう。余裕がない人は言葉のダイレクト性が上がって痛々しくなる
余裕があれば受け止められる量が増え、出力するときにも工夫する余裕が生まれる
宝くじで金がすぐに吹き飛んだりするのはサスペンションが無いから
分不相応なバネを手に入れたことで宇宙まで吹き飛ばされる
コメント