今日は自己投資の「本当の重要性」をお話しします。
ゆるい自己啓発的なニュアンスとはだいぶ違う観点からお話ししますので、「へーそんな考え方もあるのか」程度に考えてみてください。
金銭的自己投資が成功の必要条件であるとでも言いたげな風潮に僕は少し反発を覚えるのです。 はじめのうち、ある程度は必要だと思います。
まず、頭のトレーニングからやっていきましょう。
全てくっついている条件を取っ払え
普段、クライアントに自己投資の重要性をお話ししていますが、決して「ふわふわなスタンス」で自己投資をおすすめしているわけではありません。
究極の0ベース思考を行ってみて欲しいんです。
- お金
- 不動産
- 株
- 地域
- 国
全てのシステムが崩壊しました。そんなときに何が残りますか?
そうです。人間です。最後は「人間」しか残らない。
そんな時に僕達は何ができるんでしょうか。本当に証券やお金なんて役に立つんでしょうか。
自己投資は外部のシステムに頼らないこと
外部に頼る、外注化、人に頼る、誰かに任せる、これらは全て
「外部から振り回されるリスク」がアップすることとも捉えられます。
当然「全て外部に頼ってはだめ」みたいな、虚無主義者ってわけではありませんが、無駄に振り回されるリスクを減らすこと。
全てがなくなったとき、最後に信用できるのは、自分という人間だけ。
何に投資する価値があるのかを考えると、つまり、「人間的な力」にお金や資産を変えていくことこそ、本当の投資だと僕は思うのです。
それが表面上、投資に見えるか、浪費に見えるかはまた別問題。
ただ、
国だっていつ吹き飛ぶかは分かりません。株式市場だっていつ吹き飛ぶかは分からない。
※何度も言いますが無国家主義や虚無主義って訳ではありません。
もっともっと、フラットな視点でゼロベースで、
最後に何が一番信用できるのか?
と考える。
冷静に考えれば考えるほど、「自分」って結論になってくるはずなんですよ。
で、このツイートを読んでみてください。
何度もデートを重ねた恋人に突然フラれる事はあるし、古い友人に裏切られる事だってある。絶対に裏切らないのは筋肉とダンベルだけ。努力して手に入れた筋肉が急になくなる事はないし、ダンベルはいつだって定位置で君を待ってる。彼らがいれば俺は何度だってやり直せる。筋肉とダンベルは裏切らない。
— Testosterone (@badassceo) January 26, 2020
テストストロンさんはこう言ってますね。筋肉とダンベルは裏切らない。
筋肉は自分の一部だし、ダンベルはただの金属(物質)です。
どちらも制度的に崩壊することはない。(病気で筋肉がなくなったら?みたいな議論は一旦置いておいてください)
これらのものって、自分に近いから(コントローラブル)変わらない。変わらないから、安心感を感じられるんですね。
社会システムが壊れようが、資本主義がなくなろうが、結局そこには「ただの人間」が残ります。
だからこそ、自己投資しましょう。
改めて言いますが、ふわふわなスタンスの「自己投資が重要」って捉え方でも、至る結果は同じなので、決して間違いではないですが、僕はもうちょっと冷めた視点で自己投資を捉えています。
で、現状の基準にしたがった「既存の自己投資」は何がまずいか。
既存の自己投資は、損得勘定に従いすぎています。
損得勘定に従うと何がどうまずいのか。
50年くらい前にゲーム理論で、自分の得を最大化するとお互いにとって最悪の結果が出ると証明されているんですね。
これはちょっとした1サンプルでしかありませんけど。
こういった損得勘定に従った生き方は、短期的に見れば素晴らしい物ですし、僕も昔はやっていました。でも今は完全に辞めました。
人間的にバカになるし、結果も出ないし、幸福度も下がる
と感じたからです。
ここで勘違いして欲しくないのは、好き勝手、全ての基準を無視して生きろと言いたいわけではないということです。
「僕・私にとってどんなメリットがあるんですか?」
「僕のお金は増えますか?」
で支配されている人生。
それは本当には合理的とは言いがたいし、自分の雑務が効率化されることによって、人間的に成長し、周囲に価値を還元していくことが自己投資の本質なんです。
結果的により多くの価値を還元するためにやる。周囲のためになるから自己投資する。
初めから自分へのリターン狙いで自己投資していくのとは、意味が全く違うんですね。
さて。
一見浪費に見えても、本人に体験や経験、学びとして吸収できているのならそれは浪費ではない。
一見投資に見えても、マネーゲームに没頭し、運に身を任せ、何も残っていないのであれば、(例えお金は数値上増えたとしても)
それは投資とは僕は言いがたいな、と考えています。
自己投資と教育と自発性
教育や自己投資のたった一つの鉄則は、あなたが学びたい物を学ぶことです。教育は未来に必要な物を学ぶ場所ですよね。でも本当の意味で必要な物は誰にも分からないからです。
「これを学びなさい」って言った時点で微妙にずれるんです。どんなにキーボードが普及しても、20年後もペン持ってる人はいるはずです。いらなくなる技術なんてないですよね。
楽しいと思っていて技術を使えば、いつだって使えますよ。
氷をチェーンソーで削ることも仕事になりますよね、本人が楽しんで勝手にやっているかが唯一の分かれ目になってくるんですね。
何がおすすめとかではなくて。技術はいるかいらないかじゃない。本人が使いたいか使いたくないかだけです。
好きなことを学んで欲しいんです。
本人が学びたいという気持ちを起こさせることが教育なので、学びたい心をどう喚起させるかが大事で。自己投資で大事なのは、学ぶべき事をおしつけないってこと。そして、他人から押しつけられないこと。
自分が学びたいことを学んで下さい。
一応メルマガで勉強する環境は作ってますが、好きに登録してください。登録したくなければ登録しなくてもいいです。
カリキュラム
終わりがあるカリキュラムは全員同じになるということですからね。これを習得すればカリキュラム修了、って思っている人の周りだとはめ込まれるからしんどくなってくるんですが、いくらでも向上できると教えてくれる人は恩師になると。
無限の可能性があること、と資源の有限さを教えてくれた人に人はついていき、有限の可能性を無限の資源を勘違いとエゴで押しつけた人に恨みを持つんでしょうね。
「自分が上手いと思い込んでいるだけ」「実力がどんぐりの背比べ」だとイライラするけど、「誰がどうみても客観的に自分の方が上手いということが確信」できれば、本当にイラつかなくなることがわかるはずです。
相手の方がレベルが高ければアドバイスに対して目がキラキラするはずだし f1ドライバーとかですね。
明らかにレベルの低い小学生に何言われても「必死で可愛いなあ」としか思わないはずです。
動物に邪魔されたらまあ仕方ない、、ってなりますから。
イライラするのは「レベルが自分と変わらない&相手が上から来た&(それに当てはまってるor当てはまってない)場合」だけだと感じています。
自己投資とはシュミレーションをすること
こうしたらこうなる
ああしたらああなる
のシュミレーションを大量にやるんです。こうしたらこうなるああしたらああなるをくりかえして、ストックを貯める。
周辺を見るために客観性を身につけていく。苦労は買ってでもしろ!とかってちょっと論点が違います。
苦労をすることの意味「世界をよく見るようになるための訓練」にあるんですね。
それは自己投資なのでお金を払っても良い。大変な状況に身を置くことで世界を細かくみれるようになるから。言い過ぎると老人の説教化するんですけど、そうじゃなくって、
神経をつねに張りつめて周りを観察してほしいってこと。自己投資をすることを通して、洞察力を身につけて欲しいと言うこと。
自己投資で血と肉にするのか。お金や知識をコレクションするのか。
成功哲学にのめり込みすぎてイタい人になってしまったり、無理な投資で安易に自分の何かを失っていかないように。
まあいずれにせよ、自分の可能性に向かって歩みを進めたという部分で考えたらそれは素晴らしいのですが。
地頭が良いって言われる人は、他の人が学んでないところから学んでいます。何でもない状況からも学んでいます。頑張っているのに結果が出ない人は授業の時間しか頭を使わないんですよ。
以上、僕の考える自己投資の本質でした。
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