どうも、2社経営しながらコンサルしてます。佐藤です。
今日は胡散臭く感じる人とそうじゃない人の違いについて。
僕は
理念と行動が一貫していない人
が胡散臭いなと感じることに最近気が付きまして。
ちょっと詳しくお話ししていきたいと思うのですが。
理念と行動が一貫していないと胡散臭い
あなたを助けたいんです!だからこれにお金を払いましょう!
、、、本当かそれ?と感じたことは何度もあると思います。
その人にとって湧き出している理念じゃないから胡散臭いく感じるんです。
言葉が借り物で、取って付けてるんです。
本当に助けたいと思っている人は、お金を受け取るときも胡散臭くなりませんよ。
「ちゃんとした施設」とか「ちゃんとした個人」とか全く胡散臭くない場合って、
理念と行動がぴったり一致してるんですよ。
お金を取るか取らないは本質じゃない。
ちゃんと自分の中から言葉が出てきているから胡散臭くない。
「はて、似たようなうっすいことばっか言ってんなあ、、」って界隈があると思うんですが、
あれはある意味仕方ないんです。
人は所属によって扱う言葉が変わり、
そして、自分の伝えたい世界観がなければ借り物の言葉ばかりになってくる。
「自分の世界観がない界隈」は半自動的に、言葉が似てくるんですね。
素人の演技みたいなもの
素人がいかに演じようとしても、大根演技になっていく。
「大根演技」を言葉でやってしまっているんですね。
あれ?さっきと言ってること違うじゃん!
こうなると。
この人、物販が良いって言ってたのに
今度はSEOでアフィリエイトしようって言ってる、、とか。
そういった人を見かけたら十分に気をつけてください。笑
で、もうちょっと深掘りしていきます。
機能的価値と情緒的価値のバランス
500円の機能価値だけのの梅干しの壺とかに怪しさは感じないけど、
10万円の情緒価値が高めの壺は怪しいですよね。
「値段」は関係ないです。
考えて欲しいのは、内在する価値の「機能と情緒のバランス」です。
バランスってどういうことか。
「純金で出来たペン」50万円は怪しくはないですよね。
経済資本的価値があるから。
「教祖様が力を込めたゴミ箱」500円は相場通りでも、
なぜかちょっと怪しいはず。
機能的価値は低くて、情緒的価値への偏りが高め。
ただ、客観的には怪しいけど、本人はそれ以上の価値を感じるので成り立つわけです。
ビジネスをはじめたいならこのあたりも十分注意&意識してみてくださいませ。
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